、人間は理性をもった生きものであるという点から話して来ました。その明瞭な方法よりも、いろんな事や物や場合やを通じて人柄からひろがってゆく解説の方がふさわしいだろうと思って、その点私たちは相当根気よかったと思います。この何年かの間のそんな心くばりは、何の実質にも吸収されていないのね。してくれるからして貰っておく、それだけなのね、結局のところ。「よく気がつく」「云うことは立派なもんじゃ」その他等々はそれなのだからと素直な結論にゆかないで、それだのにどうこうなのは、こうであろうか、ああだろうか、という頭の働かせかたに導く糸口として役立つというのは、こわいような感じですね。情愛とは何でしょう。不思議な推測の形は、きっと年を重ねるにつれてくりかえされて、そのことから固定された観念のようになってゆくかもしれません。私たちの生活全体が、私の引く糸によって進行したし、しているという考えは、先入観であって、既に固定していることを考えても。
 いろんな日常の不平が一つ一つと消えて、一番あとにのこった一つの不平は、種々様々の形で私の上に凝集されるというのは何と微妙でしょう。
 仲人は『婦人公論』をもって行って有効に利用し、そして来た嫁とともに、ああいう話がされるという情景を思いやると、私はやっぱり切ないと思います。
 足元に裂けて現れたこういう深淵を、それは深淵でないと私に云うことは出来ません。そこにそれがなかったことにも出来ません。けれども、私たちの生活への意志によって、私はその淵の上にも橋は架けるでしょう。何故ならその淵にもかかわらず、対岸との交渉は継続されなければならないのですから。
 美しく描かれているままで保たれている感情を、結局は抽象的にしかあらわされない卑俗リアリズムでごたつかせる必要はないという考えで、ずっと来て居りましたが、こういう種類のことは、私ひとり黙って耐えている方がよいこととはすこし違うでしょう? これから先の複雑な推移のなかで、いろんなニュアンスをとって、その※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]リエーションがあらわれたりして、葛藤めいたものになるのはいやですから。
 私たちはこれまで所謂不幸というようなものを入りこませずに生きて来ました。これからもそのように生きなければなりません。私たちは、生活の地形にはっきりと知った一つの淵をよく理解し、そこには流失の憂い
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