したろうか。部屋の灯をけしてあるから、あけてある窓のすき間から雨の音に混って稲妻の光が白い蚊帖の裾にさします。眠らないでその光を見ています。笑って二階へはあがって来たけれども、横になったらやっぱり苦しいの。腹も立たないし論判する気もしない。でも何という惨酷さでしょう。思えば思うほどそこに在る淵は深く暗い感じです。日々の生活に満足し、ほかに思うことがないからとそういうことを思う人間の心に、こんな底のない、むごい考えがあり得るというのは。胸に刃ものが突きさされていて、動くとそこから血が流れるの。急所をそれは刺しているのではないのだけれど、こういう刺しようもあるかと身動きが出来ないの。そして、稲妻が白い蚊帖に射すのを見ています。
段々躯がふるえて来ます。決して涙はこぼれないのよ、只躯がふるえます。私は声に出して云うの、「ああ、しっかりつかまえて頂戴、しっかりおさえて頂戴」と。稲妻がはためいている。こういう夜も私たちの一生のうちにあるのかと、そう思って雨のふきつける音をきいています。
憤りの感情について考えます。怒りは素朴なところがありますね。或意味ではよろこびに転じる一番近い感情とも云える、それは手答えのある感情の動きですから。対手を対手として見る上での感情ですから。
悲しさという感情について考えます。これもそこには涙の溢れる余地があって、涙の中にある和らぎが予想されます。
この絶望ではない沮喪の感覚は何と表現したらいいのでしょうね。
静かな深い深い惨酷は何と音もなく、而も思いかえす余地もなく惨酷でしょう。
今年の初めに、初めて同じような沮喪の感覚を学びました、その折のことはちっとも話しませんでしたね。それはこんな会話なの。「××ちゃん、あれがかえって心変りしたとき困るから余り世話にならんことで。こっちから世話にならんことで。」
笑って床に入ったけれども、非常に思いがけない言葉でしたから、その言葉は耳の中から消えないのよ。夜が明るくなる迄おきていました。大変奇妙な経験でした。けれども、こんなテーマはテーマの本質をとらえているものの間で話題になるべき種類のことではありませんから、私は黙っていたわけでした。
本当に変な心持ね。「ようして貰うから、まさか云えん」というようなことが、自然に一方ではっきりと考えられているというのは。
林町のものに向って私は、昔から
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