かに自分たちであって今の自分たちではない、自分たちの姿を見る白昼の街は独特の趣でした。
 誰かが冗談のように電車代だと云って十四銭くれて、私も笑いながら「これ上げるわ」と十銭だまを掌へあげて、まるでさっさと「じゃさよなら」と別れました。でもどうして、まるでさっさと別れたことを、こんなにはっきり知っているのでしょう。
 膝の上の例の袋には、冨美子のお土産に三田通の青柳で買ったもなかが入っています。省線のとなりにかけた女の子が、ぐるりとエビスをまわるものだから「この電車新宿へ行きますかしら」と心配そうに訊きます。
 エビスのよこのビール会社の空地にビンの丘があって、西日にキラリと光りました。ああ、こんなにあっても足りないのかな、と感心したりして。この頃はソースにしろカルピスにしろ、ビールはもちろん、ビンなしでは買えませんから。
 体じゅうに暑さと何かが射しとおしたようなくたびれ工合でかえりました。冨美子はやっぱりくたびれたと見えて、心地よさそうにひる寝しています。冨美子は白アンがきらいだそうです。それからあっちでは枝豆だのどじょうたべないのね。枝豆やどじょうを、人間のたべない下等なもののような表情で多賀子が見たり云ったりするのを私が、そんな女くさいと笑い半分本気半分で叱ったりして夕飯すませたわけでした。この手紙はこれでおしまい。長篇の一節の筋がきめいたこの手紙。おもしろいところのある手紙、ね。

 八月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(「松花江の鵜飼」の絵はがき)〕

 八月二十日。こういう鵜飼いの風景もあるのね。きょう、徳さんがスミさんにことづけて、真鍮に七宝の模様の入った支那の切手入れをくれました。スミさんは茉莉《マツリ》花の入った支那茶をくれました。切手入れは小さいけれども、どっしりとしていいボリュームがあってなかなか気に入りました。呉々もよろしくとのこと。きょうは少々仕事しました。カメラがいいからもっと大きく見たいことね。

 八月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 八月二十一日  第五十七信
 午後二時。今みんなは豊島園へ出かけました。パンのおやつを御持参で。私はひとり。これから仕事しなければならないのですけれど、何だかまだ、けさお話ししたりしたことが心にのこっていて。これをかきます。
 ゆうべ、夜なか、雷が鳴って雨が降ったの御存じで
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