たやづくりの二階屋です。往来から見えるところに狭い待合所があって、母につれられた女の子が横になっているのが見えます。きっと病人をあずかるときは普通の二階の部屋をつかうのでしょうね、こういうところは。老いたる武士の帷子《かたびら》姿という感じがその家に漂っています。
 その前をとおりぬけるとすぐ三田のケイオーの正門の通りへ出たので、おやおやというわけです、丸善がついそこで。
 人の感情が年を重ねるにつれていろいろに傾く地理的な環境というようなものをも面白く感じました。一方の丘の上は自家用車が走っているようなところ。そのこっち側は、ああいう小さい庶民の営みが充ちていて、そこで、一種の気骨が聖医というものにしてゆくのがまざまざとわかるようでした。勿論人によって逆になるのだが。
 こっちから「いくらよこせ」なんぞとは云わない。だが、自分の方法に疑いが一寸でもあるならよそへ行ったがよかろう、そういう気分が、黒板塀に語られているようにも感じられました。なかなか明治ながらの角燈なんて趣味のはっきりしたものであります。家というものは本当に性格的ね。この目白の家なんか、やっぱりひとが見たら何か性格が語られているのでしょうね。
 三田の通りをすこし行って、左へ細い道を折れて行ったら田町の駅の前へ出ました。何と鮮やかにベロアの帽子が思い浮んだでしょう。私がパナマのつばのひろい帽子をすこし斜めにしてかぶって、駅前のこっち側に動いていたとき、ひょっと見たら、反対の側に立って人通りを何となし眺めていらした、あのままの駅前の通りにかーっと残暑の日光が照っています。
 ひろい車道のこっち側に、やっぱり小さいソバ屋があって、支那そばの鉢が浮びます。すべてが異様にまざまざとしています。私はオリーヴ色の傘をかざして、十年昔の光景を通りぬけます。これらすべて何と奇妙でしょう。そして私はふっと考えるの、自分はこんなにさっきのように覚えている、そんな風に果してあなたが覚えていらっしゃるようなことだったのかしら、あなたにとって、と。そう考えると一層異様です。私はほんとに何となしそれから先へ、行くところへ誘いましたね。どうして誘ったのでしょう、どうして何となしいらしたでしょう。
 きょうの漫歩はあつい漫歩であったけれど、そのあついという字にどの字をあてはめたらいいのでしょう。炎天の下に秋の夕暮の靄が湧いて、そのな
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