通はあるのだから、そうでもあるまいかと思いますけれど。木綿のわたのふとんを着せてあげようとおかみさんは大わらわよ。今夜か明夕、野原からの二人来るのではないかと思います。
 寝起の表、この前のお手紙に甲乙でつけてとあり、その方がまとまるからきょう迄十七日分をまとめて見ます、八月一日から、ね。さて、どうなるかしら。眼のためにやっぱり平常よりはAが多いこと、
 A四。B(十一時前後)十二。C(十二時)一。Dはもとよりなしです。朝は平均六時半。Aのなかにaa[#2つ目の「a」は上付き小文字]もあって九時ごろ床に入っている夜もあります。
 読むものは休みました。
 人を選ぶときの話、そうね。こういうことはやっぱり自分のリアリズムの問題ですね。そう考えるとなかなか機微をふくんでいることが分ります。自分の条件を明かにつかんでいないと、客観的多面的な検討ということも出来ず、一般的な或は一面的な標準できめるから。これは今私に比較的実感的に肯けることです、だってここにOならOという人がある。科学者として或る方法をもっていると云われている。その主張はゆずらないと云われている。ですが、その人が実際に扱っている対人的場面で、経費の関係で云々という条件に譲歩して、その科学者として曲げないと云われている持説を曲げているとすれば、同じ経費経費の条件に対しては同じ無抵抗を示すということが結論づけられます。その発見を私は、ハハアとつよく人の動きのポイントとして感じたばかりですから。曲げるような条件のないところで、学術論として集会の席上で、或はケンケン服膺《ふくよう》する事情におかれている個人対手にその説を曲げないというほど、たやすい真直さはないのですもの。それは客観的には持説を守るということにはならないのですものね。
 何につけても具体的な確かさ、それへの即応の敏感さは大切ね。
 あなたの一寸した言葉は時々建物の根太までさっと照し出すようです。Oのことについておっしゃった一寸した言葉が、やっぱりそうでした。私なんか足の裏の皺の走りかたまで見られているようなのね、きっと。それで私は安心していられるのね、こんなに。急転した云いかたでいくらか滑稽だけれど。こういう急転のカーブが妻から良人への手紙の特質かもしれないわ。この曲線はふところのなかへ入って行くのよ。そして、そこでつたかつらと変じるのよ。

 八月十
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