と云えるとしても、もしそのとびとびな一部ずつが燈台の役目をしているとすれば、その一部一部は、生活の日々の波の上にいつも光っていなければならないわけですものね。私はふざけて「あなたの雷」とも呼びますし、「かんしゃく」ともいうし、「こわいこわい目玉」ともいうけれど、それはもっと別な心持からの表現だわ。
「心の河」のこと、そうね。作者の生活と題材との関係という点からのみかたと、読者にとって今日何かかかわりのある題材ということとは、同じようで必しも同じでないという例ですね。
 いくつか写して貰ってみて、結論として感じることは、昔の作品は何と昔の作品だろうという感慨です。「伸子」の最終が、本質的な発展ではないということをおっしゃったことがありました。そのときそれが理解されたと思っていました。今、あの頃の作品をよむと、どんなにそれが真実かということが肝に銘じて、更にもう一つの脱皮に移って行った過程を書いて見たい気がする程です。
 すっかり写せたら大いに研究してみて、結局、「雑沓」「海流」「道づれ」などを入れて古いものをごく客観的題材のものだけにするようになりそうです。全集は面白いものだと逆に思います。下らない、今見れば不満な作品にも、やっぱりどこかにはその人らしい一貫した糸が細々とつづいていて、本質の変化というものが、その細き一筋にかかっているところ何と面白いでしょう。「高台寺」という小さい作品をよんで、おどろきを新にしました。批評家し[#「し」に「ママ」の注記]てよみますからね、これだけ時間が距っていると。時々自分の過去の仕事の総覧をすることは有益です。私のように、狭い個性の境地というものをわが芸術の島としてより立っていないものの推移の過程というものは、きわめて困難です。
 作品を集めるとすると、やっぱり、今日の未完成の方がおとといの一定の完成よりは胸くそがよろしい次第です。もし本には入れないとしてもいろいろ学ぶところあって、写し代金何円かも万更浪費ではありません。それがきっかけでたちのいい、心持のいい娘さん一人を知り合いとすることも出来ましたし。
 もうこれからの忙しさ。何しろ二十日も仕事しなかったのですから。敷布団この暑いうちにとりかえてしまいましょうか、出来て来ましたから。これまでは布地が勝手な長さに買えましたが、今度のは標準形ですから、すこし短くはないかと思います、普
前へ 次へ
全295ページ中172ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング