つけても、飽きない心のたたずまい、あの眺め、この風景という工合に過されないのは千載のうらみですね。
九日のお手紙、眼の本のこと、どうもこまかにありがとう。眼と神経衰弱についての本をよんで見ましょう。これで左がちゃんとすればきっといいのだろうと思いますが。眼からの疲労と云っても私は実によく眠るのよ、そして食べるのですけれど。只よんだり書いたり歩いたりが苦しいのね。しかし、もう頭が大分楽になって、少くともものを考えることが出来るようになって来ましたから(仕事について)追々ましになりましょう。こんなにしてボヤボヤしては迚もいられない、その気があって早くよくなろうとするものだから。全くあんなに気をつけていたからこの位ですんだのでしょう。
Dのないようにするということ。大体Dはそうないし、例外ね、万一そんなときは朝よく眠るようにします、私は眠りが不足では実に能率が低下しますから。それは自分でよく心得て居ります。よく仕事したいのならよく眠らなければ駄目なのです。
河出の本のもの二人のひとにたのんでうつしています。でもまだ自分でさがす必要のがあり。そのついでに(どうせひとをたのんだのですから)「『敗北』の文学」の批評ののっているのを見つけて、やっぱり写しておいて貰おうと思います。必要でしょうから。いろんな広汎な種類のひとの言葉がより有意義ですから。
「街」「顔」などのほかに「伊太利亜の古陶」「小村淡彩」「氷蔵の二階」「心の河」など、そして「白い蚊帳」「高台寺」等。
「伊太利亜の古陶」というのは一寸した諷刺的なものです、マジョリカの焼物をめぐって。「小村淡彩」は、鎌倉の小料理やへ来た馬鹿な女中をめぐっての風景。馬鹿な小女が、みごもっていて、馬鹿なりにその父親になってくれるものを熱心にさがしているその切な心を、はたでは只バカ扱いにしている、そういう有様。
「氷蔵の二階」は平凡社の、あなたが御覧にならなかった小さい本に入っているのです。氷屋の二階が貸部屋になっていて(アパートの前駆ね)そこに暮している若い女の生活の気持をかいたもの。「心の河」は伸子の前駆をなす種類のものです。一組の男女が、日常茶飯の些事ではいやに心持が通じたのに、生きてゆく根本のところでは何にも通じず、憎らしいと互に思う気持だけがあるとき閃きあっているのが分るという心理。
「高台寺」「白い蚊帳」は内容を覚えて居り
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