から九日にかいて下すったの、けさ、ありがとう。五日のお手紙へのお礼は、六日に申しましたね。国府津も空気こそ袋へ入れてもってかえって、あなたに吸わせて上げたいと思いますが、生活条件がハガキにちょっとかいたようでね。なかなかちょくちょくとはゆきません。その点では鵠沼はましですね、咲枝もつくづく云って居ました、何しろ海は荒くて子供(大人だって)入れないし、全くの漁師村ですから野菜もすくないし。切符のものは別途に手に入れる方法がないし。行くとき国男にたのまれて、台所で使う炭をもって行ってやったのよ、そんな工合。石炭も持って行ったのですって。ですものね。三四日一人でとはゆきません。おしいものだが致しかたなしです。バスがこの頃は大分あやしいの、昼頃はよく休んでしまうし。愈※[#二の字点、1−2−22]《いよいよ》閉口です。でも何とかして折々息吸いにゆきたいとは思って居ります。大磯のようなところは町そのものが外から来る人々によって生計を立てているようなものだから、わるいところもどっさりあって、しかし、今は物資はやや円滑でしょう。全く国府津は、使えるような使えないような、ごちゃごちゃしたところとなりました。あなたの御存じの頃があれで一番住よい条件のあったときでしたね。
 パニック的手紙のこと、いつかも書いたように幸《さいわい》大分わかって来て、本質的に所謂気にすることも少くなって居りますから大丈夫よ。夕立をやったとき、あの日は一日時々晴れた空からパラパラと来てね、そして、パラパラ雨をふらしながら、生活って何と面白いいいものだろうと思いました。あんな狭っくるしい、あんな短い時間の間にも、やっぱりああいう形でつい溢れるものがあるのですものね。そして、私はあなたに対して腹を立てている自分、あなたを恨んでいる自分をさがし出そうとして心の底をいくらさぐってもどこにもそういうものが無いので、大変不思議でした。ずーっと心の水底へ鏡をしずかに投げてやると、その小さい鏡は沈んでゆきつつ悲しさを映してはいるけれど、憎悪のかげはどこにも映すことが出来なくて、底に落付いたときには、その鏡の面一杯になつかしさが照っている、大変面白い気持でした。私たちもこうして暮して、九年の月日が閲《けみ》されたことを痛切に感じました。そんないろんなことから思いかえせば、あの夕立、やっぱりなかなか可愛いと思います。
 それに
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