っていた桑原という医者(ケイオーの人)が、一昨年盲腸を切って入っていたとき、ふと眼のことを考えて、すこし変化しているように思って又調べて貰おうとしたの。そしたら、私の眼はちんばで右左ちがうが、度のちがいすぎる眼鏡はわるいからこのままと云ったのよ。
私はそれを信じて居りましたからね。そしたら、きのうの話では、2.0と 3.0 ぐらいの相異は全く普通でいくらでも差をつけていいし、差がないと見える方の眼だけで見ていることになってよくない、それだろうというわけです。眼をつかうのだからそんな差はやはり大切だというの、永い間には。全く何だか分らない。執拗に自分の眼の感じで追って行くしかないわけになってしまいます。左の方のことよく明日研究してね、それでおさまるでしょう、しかし、神経はよっぽどつかれたのね。これまでにどんなに損していたでしょう。残念だこと。私は何だか段々慶応がすきでなくなります。内科のお医者で今戦争に行っている人はしっかりしていると思っているのですが、どうかしら。
お医者などという人は、ずっと永年かかって、体の特殊な条件をすっかり知っていてもらわなければ、いざという重大なとき何の足しにもなりません。例えば私なんかこんなに丸くたって、婦人科のお医者が、丸い女につきものといういろんな条件、頭痛だとか不眠だとか、便秘だとかは一つもないのですものね。そして、やっぱり内科のお医者がそうだろうと思ういろんな条件もないのですもの、例えば私は胃腸がいい体ですし、新陳代謝もいい方です。そんなことだってやっぱり独自な条件ですもの。
この眼、この左の眼、これがちゃんと調整されれば、そして疲れやすめしたら、もう大丈夫です。眼からの苦しさと、今ははっきりわかりました。
さわいで御免なさい。でも、自分としては小さくさわいだつもりだったのよ。
河出の本のために作品をうつす仕事、きのうときょう二人の若い女のひとにたのみました。一人のひとは洋画をやろうとしている、大変素質のよさそうな二十一の娘さんで、絵の具を買う金を働こうとしているの、ですから、私のこまこました仕事ずっとあればその人にとってもいいわけですが。
きょうはもうこれでおやめね、なるたけ疲れさせない方がいいと思うから。右の眼は底まですーと自然な感じで、左の眼だけ変に意識されています、それが曲者よ。
眼鏡をとった私の顔はどう見え
前へ
次へ
全295ページ中164ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング