いわ。何だかまとまりのない手紙になりましたがこれで。

 七月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 七月十七日
 こんな紙をおめにかけます。小さい字がふつり合いですね。毛筆でペンででも大きくサラサラとかくべき模様ね。どこで書いているとお思いになりますか。テーブルの上よ。黄色とグリーンの縞のオイル・クローズのかかった。――林町。珍しいでしょう。
 けさ、九段、そちらとまわり、お昼になったので林町で食事して上野へゆくためによりました。そしたら、六月十三日の母の命日にも何にもしなかったし、夏の休みにみんなあっちこっちへ行ってしまうので、きょう一日しかひまがないから青山の墓詣りをするという話なので、図書館は明日として一緒に出かけることにしました。それでここで此をかいているわけ。
 又ひどい風になりましたね。汗のところへ埃がついて閉口。今このテーブルに八月号の『婦人公論』があって、(自分も書いている分)あけて見たらアラン・ポオのアナベル・リイの美しい詩が日夏の訳でのせられています。アナベル・リイという愛する女の名が、第二節の終りにリフレインとなっていて、情緒も幽婉ですが、日夏さんはこれを、謡曲みたいに「かの帝御羽衣の天人だも」というような用語で訳して居られて、大変重いものになってしまっています。この号に、露伴の肖像もあり、面白い。この白髭の丸形のお爺さんは白い襟をちょい出して、黒い着物で、大きい四角い和本箱が二重に鴨居より高くつみかさねてある座敷にペシャンコな座布団しいて、片手をすこし遠くはなして漢文をよんでいるところを映されています。この爺さんの短い蒙古史のエピソードを戯曲化したものをこの間よんで、この老人のなかにある麗わしい心情と、現実判断の標準の常識性とのために、小説をかかなくなった心的機微を感じましたが、この写真みるといよいよそうです、芸術家が変に玲瓏となるのは考えものね。
 今泰子がこのテーブルの端にだっこされて来てお乳をのんでいます、いろいろのことで発育がおくれていてああちゃん大心痛です。可愛いようなすこし気味わるいようなところがあって。
 太郎は幼稚園をやめてしまいました。どういうわけか分らず。書生君は大したてこずりもので、近日中保証人のところへあずけるのだそうです。そうしないと安心して、国府津へもゆけないからだそうです。国府津では今年咲枝も海水
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