す。お祝にはお話していただけお金もってゆきました。
我々がなかなか一役を演じていてね。木星社の文芸評論と『婦人公論』が、ちゃんと迫口《サコグチ》の家の机の上におかれて居ります由、何と呵々大笑的好風景でしょう!
そのおねえさんがあしたかえるという十二日の夕飯時には、お仲人である熊野夫妻が来たものだから、腰へ手拭つけて汗をふきふき台所をひきうけて、野菜サラダにキャベジまきにおつゆに何と、こしらえるというのも一つの風景です。茶の間で熊野写真屋氏がおかみさんにお前こういうものをしっちょるか、一向拵えんが、どうで、などとやっている。とにかくお仲人となると、写真とって貰うときとは全く関係がかわるから面白いところあり、又機微もあり。お母さんはお母さんで、大きい嫁は大きい嫁なりに、小さい嫁は又それなりにちょいちょいと御自慢でね。ああいう仕事するひとだから、こんなことようしまいと思っちょったらどうして上手でと、東京へ行ったとき何をたべたというようなお話で、お兄さんのお嫁さんも決して東京の奥さんたるコケン[#「コケン」に傍点]をはずかしめぬというわけです。岩本の小母さんはこま鼠で私は動かない。〔中略〕私は見物という役をひきうけます。どんな役者だって見物がなくては張合いないのだから私は見物という役を買いましょう。旅費をかけてはるばる来た見物だから、小母さま張合がおありでしょう、と笑うもんだから仕様ことなしつれ笑いでね。マア、そんな小風景もあるわけです。寝てもおきても人のなかで、私は苦しいから、ちょいとすきがあるとサッカレーの「虚栄の市」よんで。そのこと書いた手紙はつきましたか?〔中略〕
その七日の近所まわりのおかえしと称して九日の夜にはゾロゾロお寺へ詣るように(これは達ちゃんの形容)御婦人連がお嫁さん見に来ました。
島田もお米は混合よ。割合が東京と逆で、外米は三分です。こっちは七分だが。でも初めのうちは特別に白のをたべましたが。あなたのおなかは外米が消化よくないので故障しているのではないかしら。麦だといいのですけれどねえ。外米のカユはそれは風雅よ。全く浮世はなれて居ります。ヴィタミンが欠乏ですから(外米は)その点に特別の注意がいるそうです。あなたの方もどうぞそのおつもりで。私はオリザニンをのみますけれど。
私の左の足の拇指のはらが素足でバタついて、何かとがめてはれて、うんで、き
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