つづき(光井の家の裏)のクラブや官舎の方へ通じる六間道路があの家のすぐ裏のところ(お宮の下)をとおっていて。昔うちのものだったという山ね、松のある、あの山なんか支那の子供のおけしの前髪みたいに、その一部だけをチョコンとクラブの山の下の赤土のところに出して居ります。
 お寺からかえって(四日)その晩は比較的早寝。五日は、いろいろ明日の準備で私は寿という字をいくつかいたでしょう。
 六日は晴天で何より。おひる御飯なんか味も分らずすまして、一時すぎから支度にかかり、三時に花婿、母上、私、山崎伯父と一つ車で高森の佐伯屋という家にゆきました。達ちゃん黒い衣類に袴、羽織でなかなかよく似合いました。そのときになっても又書くものがあってね、私は私だけ単衣だけれど大汗でそれをかいて、やがて二階の広間へ上り、こちらが着席するとそこへしずしずと嫁がたの父代理母、花嫁(かいぞえの髪結に手をとられ)、他の親類があらわれます。黒い裾模様に角《つの》かくし、まるで人形のように現れて、スーと坐ると仲人である熊野さんが何か云って、これはお嫁さんのお土産でございますと何か盛り上げてふくさかけたものを出したの。そしたらこちらから岩本の息子の正敏さんがモーニング姿で出て、目録あけたり、勿体ぶって、幾久しく御参納いたしますという。美しくて、何だか野蛮です、大変妙だった、嫁の方ばっかりそんなお土産なんて。
 それからお盃になり、親族の盃もまわし、その間の足の痛いこと、気が遠くなるばかりでした。それがやっとすんで、いよいよ写真をうつすとなり、そのときの達ちゃんの大汗といったら。パラパラとこぼれて玉をなしました。私は扇でパタパタあおいでやって、やっぱり脚の苦しいので玉の汗なのよ。花嫁さんと二人でとり、それから皆でとり、それからお祝の席となりました。その間に花嫁はスーと立っては着物をきかえてき、又スーとたっては着物をきかえて来て、三四度そうやって、やがて一人一人の前へ、不束なものでございますがよろしくと挨拶してお酌をしてまわるの。これもお嫁さんだけ。やっぱり気の毒よ。見ていて気の毒で可哀そうよ。それから十時すぎうちへかえりました、やっぱり髪結がついて。
 やれやれという工合で下でお茶づけをたべ、達ちゃん二階へゆくのに何かばつがわるそう故、指環出してやって、これもってってあげなさいと助け舟出してやりました。
 七日の
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