拝見して、ああ家へかえって嬉しい、嬉しいとつづけざまに云いました。ところで、どう? 島田からの第一の手紙、つきましたろうか。
 四日の御法事のことや六日の御婚礼のことや、くわしくお話したいから、又もう一遍かいて見ます。もし先のがついているにしろ、きっと全部同じというのでもないからお読めになるでしょうし。
 こっちを三時の「さくら」で立ってね。島田へは朝八時何分。駅に浴衣がけの達ちゃんが出ていました。体なんかすっかりがっちりしてね。出る前からみると恰幅がついたというところです。店の外へお母さんが、おお来てあったと云って出ていらっしゃり、家へ入って見ればもう河村のおかみさんその他ふじ山の婆さんなど来て御法事料理をこしらえている騒ぎです。岩本の小母さんが総指揮役。何でも二十九日ごろからずっと御出張のよしです。
 十一時に式がはじまり、野原のお寺の坊さんが来ました。この坊さんはこの間気がふれて畑で蛇をつかまえて、そこにいる人に喰えといって、くわなかったら自分で食ったそうです。でも今はケロリとしているのよ、そしてお経を二通りよみました。お祖母様の十七回忌の由です、だから二つなの。あなたの大好きなお祖母様だったという方でしょうと思って、御焼香いたしました。お父上のは三回忌ですから仏壇に飾る「うちしき」というものをこしらえてゆきました。金襴《きんらん》なんかこの頃織らないのですって。ですからうちにあった丸帯のちゃんとしたふさわしいのを切ってこしらえてゆきました。立派で御満足。それから御膳を頂いて(ホラお平《ヒラ》にパンなんかのっているようなお膳)それからお墓へ詣り、それから達ちゃんと私とが代表で野原のお寺へゆきました。あの辺の道は何と変ったでしょう。お寺の下の道ね、あすこをずっと山へ切り通しをつけて拡げ、三つの池のある淋しい優しい風景だったところ、あの辺はすっかり赤土が露出していて貯水池をつくることをやっているのですって。土方、トロその間をハイヤがひどくゆすぶれながら走りました。昔、少年が自転車で通った山の道はもう思い出の道です。私でさえマアあすこがとおどろいて目を見はります。トロの踏切り番をどっかのおかみさんがやっている。女土方がどっさり居ります。
 島田川は水枯れで、酒場ね、何とかいう大きい、あすこの先のとこから光井の工場へ直通の大道路ができて居り、それとは又ちがってお寺の山
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