終って、八日に里がえりがすんだら二三日野原へとまります。それから島田へかえって帰京いたしましょう。十三日には是非かえっていなければいけませんから、十五日として、ね。十日ほどの留守です。
今、本から目をはなし(つまらないの)鉄柵越しに見える街路の植込みの草やそとを通る自転車やらを見ていたら風がひいやりとするせいか、何だか一寸東京を離れるのがいやなようです。淋しいというとつよすぎる表現ですが。いつもこれまでこんな気がしたかしら。余り忙しいものだからかしら。どうにもこうにも行かねばならず、でさえこれだから休みになかなか出られないわけですね。三日の朝そちらへ行きましょうね。二日夜どおししても仕事を片づけるつもりですから。たか子と二人故私は安心して居眠りつづきでもかまわないから。
婦人のためにかいたものの内容は、そういう巻頭的なものといろいろの時評を内容とした随筆と、若い女のひとのためにもなると思うような文学的評論と合わせて五百枚一寸です。題をいろいろ考えていたのですが、『明日への精神』というのはどうでしょう、もっと柔かくとも思ったけれど、これは決して堅いというのではないでしょう? 流動性もあるでしょう、頭を擡《もた》げた味もあるように思いますがどうでしょう、これはさっきそちらのドアの外で、ベンチにかけていて、フイと思い浮んだのです、校正の出る迄に考えようと思っていたものだから。わるくないでしょう? きょうかえったら原稿紙へ書いて見てもう一度見なおしましょう。(あら、となりの女のひとも手紙かいている)小説集は『三月の第四日曜』。内に入るのはそれと、「昔の火事」「おもかげ」「広場」「築地河岸」「鏡の中の月」「夜の若葉」もう一つ。「刻々」という題でかいたのをすこし手を入れて、別の名をつけて。三百枚ばかりです、短篇の方は二千しかすらないのですって。
もう一つの方は何部するのか。この間その係のひとが赤と紺の縞のネクタイして来て、何だか上っていて、その話しないでかえってしまいました。やっぱり同じぐらいかもしれず。短篇は松山氏にあとのは寿江子がします、私にしろというのだが、それは寿江子の方がいいわ、上手ですから。『昼夜随筆』というのも寿江子がしました。
『文芸』のつづきのは今昭和十―十二です。十二―十四と大体もう一二回で終ります、そしたら自然主義の時代のところをもうすこし直して明治
前へ
次へ
全295ページ中112ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング