さて、ここまで二十日にかいて、二十三日にこの小説かき終り。「夜の若葉」という題です。三十四枚なり。
 きょうはもう二十八日なのですが(この間に二冊の本の原稿整理)、この手紙の前に十九日にかいていると思いますが、どうかして私の方の手帖にはかきこんでないのです。着きましたろうか、尤も十九日には、二種類の原稿をかいているのですが。どうも余りごたつくので。でも十八日は日比谷でしたからかいたわけねえ。はっきりしないなんて、御免なさい。
 きょうは上気したお顔でしたが、大分お疲れになったでしょう? うしろから見ていると、背中の左側に力が入って何だか気にかかりました。本当におつかれでしょうね、呉々お大切に。きょうは、初めての日のあとに私が手紙で書いた感想を益※[#二の字点、1−2−22]切実に感じました。文学においてもリアリスムというものが、どんなに明確、客観的な土台の上になければならないかということに通じた感銘です、そして、私はつよくアダプタビリティというものの本質を覚りました。文学上の表現、再現、読者に本質のことをわからせてゆくための表現法の上の必要なアダプタビリティというものは、決して、それ自身方便的な云いまわしではなくて、表現しようとする事物の核心のはっきりしたとらえかた、テーマのはっきりした把握、その必要の範囲への理解などから生じるものであって、やはりここに云えることは真のリアリズムの生命的なリアルな動きというものです、それとしてあらわれるのが文学において正しい表現としてのアダプタビリティである、実にそう思い、大変多くのことを考えました。
 ねえ、そして、私には一つの深い深いよろこびがあります。それは時間と成長とのいきさつのことです。何年間というようにして数えられる年限、そして、その時間の外皮は文学のリアリズムを固定させるかのような条件であるにかかわらず、生活の力と生長の力はその外皮の予想を克服して実に感覚として今日をとらえているということは何といううれしさでしょう。つよくそのことにうたれました。資質のほんとの良質、それとたゆみない努力、感受性、それらに満腔の拍手を送りたいと思います。評論記述のこの美しさを書いている人自身果して私が感じるほどにつよく知っているでしょうか、或は知らず天真のところがとりもなおさず、そのよさの生粋さであるのかもしれませんけれども。ああと私
前へ 次へ
全295ページ中109ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング