のは「昔の火事」というの。村がどんどん工場地帯になってゆきつつある近郊に、地主のよくばりと、その淋しい孫と、その土地から原始時代の竪穴が出て、そこで発掘が行われてゆくことと、そういう一つの生活の姿です。地主の猛之介は、「人間は儲けがなくてよろこんだり熱中したりは決してしないもの」という信念でいる。だから竪穴から土器が出るというと、それはきっと金目のものだろうと思うし、みんながいやにあっさりしていると、きっと甘いこんたん[#「こんたん」に傍点]をめぐらしていると思う。竪穴の発掘のとき、つきまとっているけれど、竪穴が原始の農業生活をうつしていると知ると、「ナーンダ、昔の百姓の土小屋か」とあきらめる。孫はおやじが、じいさんと財産争いで家出していて(養子)淋しいので、発掘に来ている青年になじんで、掘る手つだいなんかしている。一つの竪穴が火事を出した痕跡があって、その火事があったという生々しい身近さから竪穴の人々の生活へ実感ももち、みんなとわかれるのも淋しい。雨のふった日、ひとりで、水のたまったその竪穴のところへ行って、そーっと土のかたまりをゴム長の先でけこむ。水の底からの声をきくような眼色で。そういうような事に土地の利害のことやいろいろ。子供の心におどろきをもって見くらべられる竪穴とその附近の近代工場の煙突や、その昔の街道の大福屋や理髪やにあらわれて来る若い者の変化など。覚えていらっしゃるでしょうか、いつか竪穴のこと話していたの、あれです。火事ということから、人間の生活らしさがグーと迫って来た印象が忘られず、いつか書きたいと思っていたの。「第四日曜」とこれとは、何と云ったらいいでしょう、二枚折の屏風のような関係です。あの面、そして、この面、その二つの面が、どこかでつながっている。そういうようなもの。でも、二つつづけてかくと、同じ様式でかくのが進まず、短い方はずっと変化した形式で、話のように、(リアルな描写ですが)かきました。ああ、そしてね、この猛之介のじいさんは畦の由兵衛という仇名の男でありました。自分の畑や田から道へ出るときは、草鞋の下をこそげて出る、一かたまりの土だって汗と金のかかった土をよそへはもち出さぬという男。猛之介は、しかし、武蔵野の黒い土の厚みを二つにはいで、そこから儲を見ようという自分の智慧に満足している。一方を地下げし、一方を地盛りし、二つを売りものとする
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