、そのために、竪穴の水平断面があらわれたのです。面白いわね。欲一点ばりの爺、人のいい発掘家、少年、その土地のいろいろの風景よ。
七、八日には、「昔の火事」をこねながら婦人のためのものを二十五枚(二十枚は口述)。
二十五日に手紙さしあげて、『文芸』の仕事(二十枚)終ったのでした。だから、二十五日からきのう迄半月、全く眼玉グルリグルリで、それでも、半徹夜は六日の晩ぐらいでした。それでもちました。朝からやって、午後休んで、夜は夕飯後から十時すぎぐらい迄ウンウンやって。一日平均十一枚小説をかいたのは未曾有です。理研のレバーがこんなにきくのでしょうか、又実によくのみましたけれども。体力がへばらなくて、それでやれたという感じは初めて。夜ふかしを余りしなくなったききめだとすると、随分あなたはおえばりになるでしょうね。多賀ちゃんの功績も甚大です。あのひとのおかげというところも多々あります。ですからきのうは原稿とどけてから銀座の方へ二人で出て、夕飯をたべ、九時すぎかえったら、あの雨の音でしょう? ゆうべのいい心持で眠ったことと云ったら。ゆうべは十時半ごろ眠って、すぐ眠って、けさは九時半まで一本の棒のように眠りました。このねぼうはあなただって下さる御褒美と思いながら、ホクホクして。
ああ、でもそういえば、私は二十五日よりあとにもう一つぐらい手紙さしあげているでしょう、「合せ鏡」という題のことかいた覚えがあるのですが。あしたうかがいましょう。何だか夢中だったのでごちゃごちゃしてしまいました。
林町へのお手紙よみました。みんなが、いかにも心持よさそうなお手紙だと云って、返事かくと云っていました。国男が、「姉さんの大変いい気持になるものをぜひ見せてあげたいから」と云って、食堂のサイドボード(覚えていらっしゃるでしょう、壁のところに高くたっていた茶色の彫りのある棚、かがみのついた)のところへひっぱってゆくから、何かと思ったらあれでした。緑茶の話が出ていて、笑ってしまいました。咲枝、動坂の家を知って居りますからね、あの二階でのまされた緑茶ということにはひどく同情して笑って居りました。でも咲枝は感心よ、のまされた人に同情するけれども、のましたものの心底もあわれと十分察して居りますもの。それはそうよ、全く。のましたものの方は、そんなにして、自分たちの新しい生活で仕事を渋滞させまいと思っていた
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