ようなのはいやだし、ついそのままになっていた、そこへ不図思いついて縫いはじめたわけです。出来上るのと、あのスケッチの海老色と青の格子のかけぶとん(動坂であなたのだった)の上へ、今そこで着ていらっしゃる古い方の大島の羽織と同じ布と去年の冬まで着ていらした赤っぽいような細い縞の八反の布とがまざったスプレッドが、昼間はかかることになるわけです。
 電燈の下で、例の私の場所に坐って長いこと黙って縫っていた。。そろそろ私はひき上げようとする時分、寿江子が、何かたべたくなって云い出した。「何をたべたいのさ」と私がそう云う。「お姉様何がいいの」。私のたべたいものはきまっているわけでしょう、私はあのブッテルブロードがたべたい。どんな味がしたか、本当はよくわからず、たべたことだけは忘られない、あのブッテルブロードがたべたい。「ね、何がいいのよ、お姉様は」縫いながら「私が一番たべたいものは今、買って来てくれる人がないから、駄目さ」「ふーん」そんなことを云っているところへバラさんがかえって来て、結局紅茶一杯のんで、私は二階へあがりました。
 すぐ寝床へ入ってしまった。
 けさは、熟睡したいい心持でおきました。
 これはゆうべ日記の欄外を見ていて発見したのですが、八年毎に週日(ウィーク・デェイ)は同じになるが、旧暦は同じではないのね。二十三日は今年は旧暦の十二月四日。三日月、四日月のわけです。床に入る前、雨戸をあけて物干のところへ出て見たら、そんなにひどく寒くもなくて、大きい奇麗な星が一杯きらめいていました。
 すこし体が弱いところがあって、しかも病気のあと新しい命が流れているところがあって、今の私は、大層面白い工合です。もっと病気が内科的にひどくて長かったら、快復期のこの感じは、おそらく激しく新鮮でしょうね。
    ――○――
 ここへ一人の女客あり。
 そのひとの話で、本年の秋ぐらいになったら、西巣鴨に一つ家があるようになるかもしれない話が出ました。大塚の終点からすぐのところの由、西巣鴨何丁目でしょう。その人の親類で、老夫人とその子息の未亡人(子供四人)が二棟に住んでいて、おばあさんが夏に子息の三回忌をすましたら田舎へひき上げると、そこの家があく。その家のおもやをなしているところに若い未亡人と子供らがいるが(銀行員だった人)ポツンとそこにいるよりは実家が渋谷にあるからその近くに住んだ方がよいということになりそうで、そうなると平家で四間ぐらいの家と二階で四間ぐらいの家が、表は別で、内ではかけ橋でつづいているところが、あくわけなのです。
 秋から寿江子が東京に落付くについて林町はどうしてもいやだというし、ここへこのままは住めないし(ピアノがうるさくて)心配していたところでした。一人きりはなして妙な生活になるといけないから。もしそこが五十円ぐらいでかして貰えれば寿江子も自分の家賃は出して、食事など共通にして二人でやってゆけるかもしれず、大いに期待して居ります。共同に台所や何かやって、女中さんなしでやれれば、実にうれしいと思います。この家に、私が全く一人というのでは万一のときこの間のような思いをしなければならず、又寿江一人もよくない。そうかと云ってお互の条件が音については反対なのだから、こんな家は理想的です。或は六十円でも(家賃が)二人でやってゆけば却っていいかもしれない。あの辺はこことちがって周囲が直《ちょく》で物価もやすいし、そちらへ多分歩いてゆける位かもしれず、本当にわるくないでしょう。少しわくわくする位です。私の生活の形、寿江子の生活の形、ほんとにああでもないこうでもないと考えていたのですもの。寿江子は、余り工合がいいからもし喋って駄目になるといやだからと云って、こわがって幸運をとり逃すまいとしています。
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 寿江子は私の癒った祝に今面白いことをやって居ります。いずれおめにかけるものです。
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 余りうれしいこと口へ出すと消えそうな気がするそうです。ひさの試験は受かるかどうかわからないが、受かるようにしてやって、うかれば本年の冬はいないものと考えなければならず、あとのひとのこともなかなかむずかしくて閉口していたところですし。そういう形で寿江子と家が持てれば相当の恒久性があるわけです。私が旅行したりする間も安心だし。出来るとうれしいと思います。家なんて妙なものね、もしこの話が実現すれば、空想として描いていたような好条件の形が出現するわけです。前かけのまま何でもなく一寸出られるような周囲でなくては一人ではやれるものでない、面倒くさくて。ホクホクしてもう手どりにでもしたようによろこぶのも早計ですから、私ももう笑われないうちひかえましょう。もうたったひとこと、本当に出来たらいいとお思いになるでしょう?
 一昨日だったか稲ちゃんと栄さんとが来て、二月十三日には本当に私の誕生日やるかと念を押し、のばしたなんて云っちゃ駄目ですよ、とニヤニヤしながら云いました。何をしてくれるのでしょう。二十三日にしようかと思いましたが、体がしゃんとしないからのばしたのですが。たのしみになりました。これぞというもくろみであの人たちが何かしてくれるのは初めてです。私はこの調子から推してあなたからは相当のものをねだってもいいらしいと思われますがいかがでしょう。何をねだらして下さるでしょう。余りゆっくりではないことよ。どうぞお考えおき下さい。かぜ気味をお大事に。病気をわるくしないおてがらをおくりものだと云われたら困る、謂わばそれにこしたものはないのだから、では又。

 一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 一月二十五日  第九信
 二十三日に手紙を書いて下すったのね、ありがとう。その前日あたりかと思っていたところでした。手紙を一行一行よみ進むうち、すぐ立って出かけたいようになりました。あなたはよく、あの懐しい懐しい物語[自注2]をおぼえていらしたこと。小さな泉とそこの活溌な住人雄々しいきれいな小人のはなしは、いつになっても、どのような話しかたで話されても、本来の愛らしさ、献身、よろこばしさの失われることのない物語です。私は沢山のヴァリエーション、かえ話を知って居ます。覚えていらして? 激しい待ちもうけの裡で眠っていた泉が、初めて活々とした小人の魔法で段々目ざめ、やがて美しい虹をかけながら湧き立って来たとき、何とも云えない呻り声で、びっくりした小人が見まわしたら、泉守りの仙女が草の中に失神しかけていたというところ。素朴な仙女がよく描かれていて、私たちは好意をもって笑いましたね。
 おいしいものについての御注意もありがとう。全くおいしいものにも様々あり。
 体温表のこと。それよりも、消燈・起床をやかましく気をつけた方が合理的のように思われます、今の状態では。どうでしょう。だって熱は五・九ぐらいから六・六の間にきまっていて、それをとるのは、私には何だか只形式のようです。私は種々のよくない習慣をもっているかもしれないけれども、一つほめられていいことは床について横になってからは、決して本をよまないということです。床に入ってからは、いつも仕事のこと、考えたり、親しい物語を描いていたりなかなか活動的で、収穫も少くありません。だから燈なんかいらないの。消燈したって心の中はときによっては光彩陸離の有様です。そういう動的状態でないときは、父の二代目で、ベッドへ入る、スタンドを消す、もうあとは前後不覚。いずれにせよ十時消燈という原則は守りますし守っても居ります。どうか御安心下さい。ほかの連中にかかわりなく、やって居りますから。
 いつぞやの連作手紙についての批評ありがとう。芸術家が、もし真の現実と人間生活の諸関係、価値の比をとらえたいと希うなら、規模が大であればあるほど無私でなければならないということが、益※[#二の字点、1−2−22]痛切にわかって来ます。条件的な進歩性ということもよくわかる。これらの大切な諸点については、この間うちの手紙にもかいたように、つづいた病気が微妙に内的にも作用して、心理的に変化したところがあります。ただ、こういう肉体の事情の下で或時期――恢復期の敏感さ、感受性のするどさという感性的なものではなしに。歴史的正負を正しく設定するということは、核の核と思えます。それが出来る能力があれば、すべての小主観性やその日暮しの中での世俗的目安の腰据えなどけし飛んでしまうのだから。いろいろ臥ていた間にもそういうことを考えていて、自身の脱皮について、自身へのきびしさについて考えていたところへかえって来て「はたらく一家」直の小説をよんで、粛然としてしまった。自分など、稲ちゃんなど、本当に沈潜して真面目に真面目に沈潜してめのつんだ小説をかかなければならないと思って。何年かの間絶えず一作家の低下力となっていたものが勝利を占めて、作品のかげで悪魔的舌を突出しているのに、身についているとか何とかで、人間も四十になって云々とか自得しているのは、もう箇人的な好悪を絶しています。こと終れり的です。
 芸術家、人間の成長の過程における正負というものは、極めて複雑でダイナミックであり、私はそのことについてもいろいろ自分の生活から発見します。正負の健全な掌握ということには、精神力の、運動神経の溌溂さが大事ですからね。自分たちの生活がいいものでなければならないと思うことと、いいものであるということとは別であるし、同時に、エッセンスに漬けた標本みたいないい生活なんてあるものではないのだし。なかなか興味深いところです。考えて見れば去年は苦しい一年でしたが、本気で暮したおかげで、私の皮はどこか一ところにしろピリといって、今はたのしみなところがある。いつからか文学の仕事にふれて、私はよくもう一歩のところが云々と云っていたでしょう? 二年ぐらい前から。覚えていらっしゃるでしょうか。本能のようなものが、おぼろげに何か感じていたのですね、考えて見れば。角度が(掘り下げてゆく)その頃つかめなかった。前へ前へそういう風だった。前へではなくて沈潜の方向が必要であったわけでした。生活の内容に文学上の技術が追いつかないように感じてそのことを手紙でかいたこともありましたが、ああいうのは、やはり正当に見ていませんでしたね。文学的技術は完全ではないが、そう片言でもないので、生活の内容を金《かな》しきとすれば、正しい力の平均でしっかり鎚がうちおろされていなかったからであると思う。ユリにもう一押しというところが欠けているように思われるが、というあなたの言葉は一度ならず云われていて、その都度そのときの理解一杯のところでは考えていたが、それも今にしてわかった、というところがあります。人間の成長は何とジリジリでしょう。そしてリアリスティックでしょう。
 きょうは曇りました。火鉢なしでこれをかいているとテーブルの木肌がひやりとします。テーブルの上には友達がくれた桜草の鉢と紫スミレとがあってあとはキチンと片づいて居ります。そろそろ勉強の気分で。
 中野さんのところの赤ちゃんは二十七日が生れる予定日だそうですが、重治さんはまだ一本田です。お父さんを金沢の病院に入れるためにいろいろやっているそうです、病気は老年との関係でしょうが、手術を必要とする摂護腺肥大で癌のおそれある由。泉子さんは大塚の病院で生むことにしてあるそうですから安心です。おそい初産ですから注意がいります。
 あなたの風邪、どうぞ無事終了のように。こちらから、ただそういう表現でしかあらわせないから。毛糸のシャツ着ていらっしゃいましたが、あれは今召したらもうすこし寒気がゆるむまで脱いではひきかえしますね、きっと。二月も四日ごろ立春でしょう。三月に入るといいこと、早く。空気の肌ざわりは二月下旬でもうちがいますものね。バラは何色でしたろう。フリージア、珍しくいい匂いでしょう? さっぱりしたいい匂いかぐと眼の中が涼《すず》やかになるでしょう。袍着《わたいれ》のこと、ああ云っていらしたので気にかかります。悪寒がなすったのでしょうか
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