つく六・六 六・八 六・八
十五 日 床に入っていて手紙の時だけおきた
六・五 六・五 七・〇 七・
十六 日 六・四 六・六 七・二 七・二
十七 日 六・四 六・五 六・七 六・七
十八 日 ひさの姉死去急にかえる
六・六 六・四 六・四 六・四
十九 日 久々の出〓
七時 六・四 六・五 六・五(十時就眠)
二十 日 六時四十分 六・二 六・四 九時半
夜十二時すぎ苦しくて目がさめ 七・五
二十一日 朝七・五、林町へ電話午後入院、手術、后七・八(?)
二十二日―二十八日迄。病院でカルテへかいてよく判らず、六・八位から七・一、七・二の間。
二十九日初めて六・六。三十日以後朝五・九夕方六・六位にきまった。
一月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(はがき 速達)〕
十八日
今日はすっかり景色がかわって外を歩けないのが残念な屋根屋根の眺めです。さきほど弁護士のことについてのおことづけは確にわかりましたから、一筆速達いたします。親切という風に思う程でもありませんのですから。いろいろは二十一日におめにかかりまして。
一月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月二十日 第七信
十八日づけのお手紙をありがとう。二十一日に行ってシクラメンの大きい賑やかな鉢を二十三日のために入れようと思っていたところ、福寿草が咲きかけでは可哀想故、おっしゃるとおりに致しましょう。その代り今寿江子がこれをかいているまわりで大いに美術家を発揮して居ります。光子さんがいた間にもとの家の一寸見える二階の南側のスケッチをして貰ったら、何となししまりのないのが出来て感じがないのでお送しないでいた。寿江子を動員して見たら、マチスのコムポジションに似たようながら面白いのが出来そうだからやって貰っているところです。どんなのが出来るかしら。前にお送りした室内風景ね、あれの南側の面になる分です。
さて、養生のこと、勉強のこと、事務的処理のこと、ありがとう。体に力のないというようなのは一目でやはりおわかりになるのね。大抵のひとは、私の血色がよいし、活気も一通りあるのでだけ判断する。自分では血色や何かにだまされてはいず、力のない感じの方で生活を計っているから御安心下さい。気分はおだやかで、追々夢も減って来て居ますが、この力の充実しない感じは微妙で、ちっとも戸外へ出たくない。十七日に家から出たぎり。冬はこういう内部的な肉体の恢復というのはおそうございますね。傷のところは大層工合よく肉がもりあがって来ていますが。今の私の体の感じは面白いところがあります。肉体の奥ふかい全体にまだ衝撃《ショック》の余波がのこっていてとれない、そういう感じです。常に不調和というのではない、調和はとれた感じだが、その水平線が低くて、引潮で、時々ああアと思い出したように肉体の中に疲れを覚える。そんな工合。幸二階は日光が十分さしますから、大体二階暮しでのんきにしています、横になったりよんだりすこし書いたり。そちらではこの冬風邪さえおひきにならなかったのだから本当にようございます。私は自分が病院でいた間どの位それをうれしく安心に思ったかしれません。本当に私はよく気をつけますから、お互に今年は好調にやりましょう。
私の場合について云うと、十二月のダラダラ風邪や今度の切腹やその後のこういうやや弱っている状態は、内部的には様々のプラスとなっているのは興味あることだと考えて居ります。あのダラダラ風邪の間に、去年のうちのいろいろな気持の底がカタリと落ちてどこかシーンとした気持になっていたところへ、切腹で、おちた底の上で引つづき静かな持続的な省察が各面に動いていて、決してわるい状態でないと思われます。真面目な勉学ということの立体的な意義も人間生活の長い長い歴史の光とてらし合わせて、益※[#二の字点、1−2−22]感じられて来て居ます。私はきっと、今までよりすこし大人らしい[#「大人らしい」に傍点]勤勉さがわかって来たのでしょう。ですから勉強はつづけます。事務的に必要なことをよく処理しつつ、落付いて勉強します。書けることを、書くべきようにかきつつ。書くことについてやたらにせき立った気では居りません。今年は去年一杯の苦しかったいろいろのことから学んだ点もあり、体の中からくされもののなくなったこともあって、大分様子がちがった気分で、自律的勉強、書きものの出来る気持です。おなかの中がいつも不安な一点があって、いつもそれを劬《いたわ》らねばならず、しかも気でその不快感をひっさげて暮していたようだったのを今思いかえして見ると、いかにも両肩に力が入っていました。快活さのうちに、軽そうな足どりの中に、見えざる感覚への抵抗が常にかくされていて、神経質なところがありました。手術して見たらそのことがはっきりわかって、両肩の力がぬけて楽になったとともに内面の緊張もとれている。小さいようだが心身ともに相当影響しました。僅か六センチ足らずの突起のおかげで。私のむしが退治されたことは二様に好結果をもたらしていると思って居ります。いろいろと複雑な条件の中では、一つの肉体的な手術が様々に反映するから面白いものですね。
二十五六日ごろの御心配かけたことについては、本当にすみませんでした。これからは(マア度々あっては閉口ですが)気をつけましょう。ボーとしていて、しかも妙に鉢のことなんか気がついて、妙だった。新法学全集は、早速全集見本を見ましょう。この間実物を見たらすっかり装幀の出来た本だったと思ったのですが。何か間違ったのだろうかしら。達治さんの『世界知識』は届いて居ます。事務的にことを処理するコツが今日のことを明日にのばさないところに在るのは実際です。大体その心がけでやってゆくつもり。つもりを一層具体的にいたしましょう。
この三十日が父の三年祭です。(神道)そして母の五年にも当る。何も特別なことはしないつもりの由。林町で神官をよんで式をして、それから青山へお詣りにゆくでしょう。この式や墓参には私も出るつもりです。寿江子もこれをすまして伊豆へゆくと云ってまだこちらに居ます。伊豆と云えば、「生活の探求」は「正月の騒ぎがすんでから」伊豆の温泉へ川端、深田等々氏と出かけて、出京、中央公論社の用事をすませて両国の某という料理店へ車を駆る、というような日記をかいて居ます。作家の日記というものはなかなか感想をそそる。稲ちゃんは、『新潮』の口絵の写真にそえた文章で、この数年間自分は写真をとるとき笑ってしまう癖がついているが今日は笑っていない。これからは又元にかえって写真機の前で笑わなくなるだろうと思う。ただ目だけは子供のようにハッキリあいていたい、と書いている。これなども実にいろいろ感じられる言葉ですね。成長、自分の力で成長してゆこうとする努力の、そのときどきの姿がまざまざとうつっている。楽でなさが私などには犇《ひし》とわかる。
明日出かけるのをたのしみにしているのですが、あしたの晩は眠れるかしら。十七日の夜はね、ああ何と眼の中がいい心持に楽になったのだろうと感じて、幾条も光の箭《や》にいられたような体じゅうの気持で、なかなか眠れませんでした。
いよいよ寿江子の絵が出来上りました。本人は失敗失敗というが、それでもこの室のこの隅からの感じはわかる。これに補足として光子さんの細部的なスケッチが大に役立ちますね。寿江子は室内のあの安楽椅子辺から描き、光子さんのは丁度、私のねまきの干してある浅い手すりのところへ出て、ひろく外の景色を描いていて。光子さんの方の絵で見ると右手の煙突の先に[#図3、右手前に煙突、煙突には三角の屋根、左奥には家の屋根の左端を描いた絵]こんな形に屋根の見えるところがあるでしょう。これがもとの家の屋根に当ります。寿江子の方のでは右手のギリギリのところに濃くこの形で屋根の遠望があらわされているところです。元この家にいたころ、更に奥の大きい屋敷は建っていず、何とかいう人の花園でした。左手に黄色っぽく洋館がある。それも花園の一部でした。二枚とも御覧下さい。今に、この六畳から出た廊下の北窓からの眺望や物干の眺めをおめにかけます。これから私はすこしスケッチをやって見ます。今も寿江子に云って笑ったの「だってくやしいよ、一枚描かそうと思うと、御機嫌とってやってさ。字が書けないと同じようだもの」しかも、ちょいちょいとやはり字でない形で見て欲しいときがあるのですから。この二枚を切手貼ってむき出しに送るか、さもなくばよごれないようにして送ろうかとつおいつの末、すこしおそくなってもよごさずに届く方法にきめました。
島田からお手紙で、富雄さんが手つだうことはお断りになったそうですね。運転手が、却って気兼ねだからというからとのことです。仲仕もおいていらっしゃる由。夜の仕事はやめて安全第一にやっていらっしゃる由、そちらにもそのようなおたよりがありましたでしょう。野原では春になって土地を処分なさる由。林町のうちは水道が凍って風呂がたてられず、目白へ風呂を貰いに来る由。大笑いをしてしまいました。きっと今に「今何時でしょうって目白へききに来るんだろう」。だって林町は家じゅう電気時計で、停電すればそれっきり。目白のはボンボン時計ですから。周囲の一般のレベルをぬきにして一つの家の中だけやったって、不便のときは、極度に不便になる。こういう悲喜劇があるから、私は石炭が質を低下させられるつ[#「るつ」に「ママ」の注記]れ煙突掃除を余計たのむので閉口しつつ、あたり前のフロが大好き。太郎はカゼがなおって遊びに来て、「アッコオバチャン、おぽんぽが痛くなくなったらアボチャン、トシマエンヘツレテッテヤルヨ」と大いに慰めてくれました。では又明日。この分ではしずかな天気そうですね。おめにかかっていろいろ。栄さんの小説が芥川賞候補に上っている由。そういうものはあのひとに、今のところ格別あった方が大いによいというようなものでないと考えます。賞の与えかたにも、やはり大局からの考慮がいるものであろうと思います。
一月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月二十四日 第八信
お早う。けさはいかがお目醒めでした? ゆうべはよくおよりましたか? いいお天気ね。すこし風があるけれども。きのうはユリの薬のきけ工合をきいて下すって本当にありがとう。何と味のふかい、全身的に作用するこの薬でしょう。大事な大事なくすり。
昨夜は刻々を待つような独特な気持で二階のスタンドのところでいたら、急に雨の音がして来た。そちらでもきこえたでしょう、六時頃。そしたら、実にまざまざとその夜の雨に濡れたところへ電燈をうけて光っている洋傘と、その下の顔と、すこし外套の前にかかって光っている雨粒とが見えました。玄関のところへ私が出ていて、濡れた? ときき、その黒い外套のぬがれるのを傍に立って見ている、手を出してぬぐのを手つだいたいけれども、極りがわるいようでわざと手を出さないで。現に玄関でその光景があるように鮮やかでした。きっと、あなたもこの雨の音を聴いて、やっぱり傘をさして出てゆくような心持になっていらっしゃるのだろう。そう思いました。
雨の音は暫く胸の中へ降るように響いていたが、御飯をすました時分にはもうやんでいた。雨もうやんだのとひさに訊いたら、大きなみぞれでしたと云った。霙《みぞれ》が、では降ったのね。今はいい星夜です。九時ごろバラさんが外からかえって来たとき、ふるような星ですよ、と云っていた。
ゆうべは夕飯後茶の間にいて、縫いものをしていました。私たちの八年目の記念、私が死なないで虫退治出来た記念、そんな心持でそちらでよく着られてもう着物にはならない大島と、どてらであった八反《はったん》とを切り合わせてベッドの覆いをこしらえてかけているのです。長いこと、ベッドスプレッドを欲しいと思っていて、出来合の安ホテルの
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