トいて下すって、それで十分。
御愛読の詩集、このごろはどんなところの光景でしょう。先達ってうちは、何か詩集を閉じて、枕のわきにおいて、大きい目をあいて天井を見ているような心持でしたが、この節は折々パラパラと風で頁がめくれます。一寸そこを見るとね、樹蔭に小さき騎士が横になっているところが描かれています。眠っているのか、ただ横になっているかよくわからないからでしょう。泉の仙女は、気づかわしさとやさしさとの溢れたおとなしい身ごなしで、すこし首をのばす姿勢で、そーっと小さき騎士の方をのぞいて居る光景。あたりの空気は初夏の青々とした、そして静かなやや曇り日の昼間。小さい騎士の息づかいと泉の仙女がすこしつめたような工合でしている息とは、青葉の一枚一枚に静けさのとおっているような、あたりのやや重い空気の中に一つとなってきこえます。小さい騎士はどんなにして目をあけるでしょうね。泉の仙女の顔は、その刹那どんな輝きにつつまれるでしょう。この插画はうまく描かれていると思います。これだけ想像させるのですから、小さい一枚の絵で。少し心配げな仙女の薔薇色のプリッとした顔立ちは、可愛いところがあります、そうでしょう?
六月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
六月十六日 第五十二信
暑いでしょう? この二階八十度です。きのうからきょうは、ハンカチーフをもって、汗をふきずめです。明日から又梅雨の涼しさになる由。だるくていらっしゃるだろうと思います。さすがにきのう、きょうは単衣一枚でしょうね。
十四日にユリがかぜをひいているとおっしゃったのは、当って居ました。あのとき自分で何だかすこし鼻声だ位思っていたらあつくて汗かいて、そしてくしゃみをたくさんして、けさはおきる早々食エン水をこしらえてうがいしました。一種の風邪ですね。鼻の奥からノドが痛いようですから。汗だくで鳥肌立ったりして居ります。こんな工合ですもの、余りぱっとなさらないの尤もです。街では、甘納豆で中毒して人死にがあったりして居る季節ですから。
弁護士のひと、もう行ったろうかしら、まだらしい。そういう気がします。細君につたえておきましたが。大森の方のことは昨十五日いろいろわかりました。旦那さんに手紙やった返事がゆきちがったり混雑したようです。これはおめにかかって。
きのうは、朝のうち「あるままの姿は」という題で伊藤整の「幽鬼の街」と「村」の批評をかいて九州へ送り、郵便局からかえって来たら、いろいろの人が珍しく来ました。いやに母子づれが多いのは可笑しゅうございました。松山さんの奥さん、息子をはじめ。松山さんの息子は松山さんと奥さんとに似ているのですが、その特徴を合わされた小さい顔を一つだけはなして見ると、どこか徳田秋声に似ているの。何だか面白く思いました、その子が「おブー」なんかと云っているのは。
女中さんのこと来る人ごとにそれはいけないと云って心配してくれ、すこし当がつきました。二人。一人は九月頃以後、もう一人の方はいつ頃か不明。しかし、いずれも農繁期ですから、秋に入ってということになるでしょう。本年はどこでも蚕の値上りで、例年より多くはき立てたのだそうです。それでも、皆が心配してくれて、うれしゅうございます。やっぱりひとりだと、仕事している間食事の仕度してくれるものがないから、それが終ってからフラフラぐらいでやるから。
くたびれて早く横になっていたら寿江子が来て、泊りましたから、ゆうべはのうのうとして眠りました。きょうはこれから、これを出しがてら、一つ電報をナゴヤの帝大へ送ります、何の間違いか感想のようなものと思っていて、ゆうべよく手紙よんだら短篇です、それではきょう中には駄目ですから。いろいろの大学が何となし地方色や特長をもっているのを見くらべるのは興味があります。先方とすれば一本の糸が私につながっているぎりですが、私の方から見れば、すこし大きく云えば日本中だから。
阿部知二は法政の教師ですが、『中公』にオックスフォードの十二人の学生が、「われは戦うか?」という題でそれぞれ執筆した論文集について感想をかき、マアその感想は小説「幸福」に類似の迷路ばりですが、その中に自分の接触した学生で上流の学生は時局認識がうすいというようなことを云い、オックスフォードのお歴々の息子たちが、それぞれ自分の現実の問題として「ウッド・アイ・ファイト?」という問いに答えていることをのべて居ります。自分の現実の問題というところへ、考えの重点をおくよう、云って居て、それはそれだけ見て当っていますが、抑※[#二の字点、1−2−22]この自分[#「自分」に傍点]というものが、実に多面な困難にぶつかっているわけですから。
きのう『婦人公論』が来て、いつぞや一寸かいたと思いますが、「私の不幸」という三枚ばかりの文章。いろんなひと、例えば金子しげり、時雨、夏子、宇野千代、私など。なかに稲ちゃんが女の不幸を自身の不幸として云っていました。現代のこの歴史のなかでの女であるということが、決定的に不幸であると、だが仕方がない、やって行くしか仕方がない。「女というもののほかに自分の性格というものもありますから」と。これは何かよんで苦しい文章でした。何となくこの頃わき目に苦しそうです。
女の作家など、文学全般の低下のままに、ひどいありさまとなって只達者に、女だものだからそういう露出性、ばかさも男の下らぬ興味をひく故のような作品など、恥知らず書いたりする世の中ですから、一方、真面目な女の辛さは倍加するわけです。しかもその苦しさが、爽やかにはゆかず。苦しさをも快よしとするような高く翔ぶ味でなく現れるのですね。
この短文のなかで、私は不幸と固定して感じつめているものはないことや、スポーツにおけるフェアプレイのよろこび、かなしみ、善戦というものの勇気、それが人生の感じで、もし私が道具としておしゃもじ一本しか持たないとして、対手が出刃もっているとして、やっぱり私はそのおしゃもじを最大につかって、たたかい、それを道具としてすてない勇気、を愛しているということをかいたのですけれど。現実のなかで女がどんなに低いか、それを知らず踊っている人々。それを痛切に知って苦しむ人、その痛切な知りかたや対しかたが、一緒に生活しているものの微妙ないきさつでいろいろなニュアンスをもって来る。私は女も低いが、男の低さ、そして人間の大多数おかれている低さ、そうどうしても感じが来ます。
小説のこと考えながら、この間送りかえして下すった『日本代表傑作集』ですが、よもうとして出したら皆ひどいのね。宇野浩二のきりぐらいです、ましなのは。それだのにあの序文の大きい文句。この頃に又去年後半期分というのを出しましたが、その内容を見るとやはりどうかと思われます。
私の書こうとしている小説はね、姉と弟です。田舎から東京へ出て来ている。姉の側からの心持。姉は二十一。弟は高等をこの三月に出て、三月の第三日曜日に先生にひきいられて、一団となって上京して来た少年たちの一人。今年はじめてです、こうやって少年群が、就職のため、先生につれられて来たのは。三月のその第三日曜日からかきたいと思っていたもの。
宇野浩二と深田久彌の作品をよんで感じましたが、宇野の作品には、おのずから自分の書いている世界への情愛がにじみ出しているのに反し、深田のは(「二人の姪」)明るく「愛は知慧の巣」というような表現をもちつつ、対象の世界へずーっと入りこんでいず、ある距離をおいて眺めて、感じるものを感じると自覚している心の姿勢。随分なちがいですね。「器用貧乏」あの境地にはいろいろあるけれども、それでも作者の血液がしみとおっている点では真物です。今夜は小説のこねかた。小説の世界が次第に鮮明に(部分部分から)なって来ると、人のうごき、声、表情、場所の光景が目にうかんで、独りでなくなって、何人かの人間をひっぱって自分が歩いているような気になるのは面白いところです。桜坊の話が出たので、本当にたべて頂きたく思います。ふたつぐらいきっと毒ではないと思うのですけれども。二十一歳の姉娘はもう相当具体的に上野のプラットフォームに立ったりするのにまだ名がありません。弟の方も。では又明日。
六月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
六月十七日 第五十三信
きょうの天気予報はくもり時々小雨でした。ゆうべ、おふろで洗濯をしてね、白い干しものを夜の物干しにもってあがって、折角洗濯したのに降るのかしら、私が洗濯なんかしたから降らざるを得ないのかしら、困ったことだ、と思っていたら、けさはからりとして、すこし間で怪しかったが、午後はこの通りの快晴。家じゅう風をとおし、すっかり大掃除をいたしました。家じゅうしめっぽかったり何《なん》かするところのないさっぱりした気分で、例の茶の間に坐って小説よんでいたら、青い八つ手の葉かげが、二月堂の机(黒塗りでふちに赤い細い線の入っているの)の上に青くちらついて、ちょっと、いらっしゃらない? と云いたい心持がせき上げました。風で風鐸は鳴っているし。私は、紺絣の着物をきてその座敷にいるのです、半幅帯をチョコナンとしめて。
頬杖をつくようにして待っていたけれど、あなたはいらっしゃらないから、今度は私がそちらへ行きます。紺絣のきもので、一寸前かけかけて、青っぽい廊下草履はいて。そこへ行ってふとんにすこし膝をかけるようにして坐りこんで、さて。私は何となしあなたの額や髪をさわって、余り大きくない声でうかがうでしょう。どう? フム。そして、いつもの笑いかたでお笑いになる。私もそういうあなたの笑い顔にこたえるいつもの顔ですこし笑ったような顔になって、それから黙ってお互にしばらく眺めていて、やがて私が喋り出します。きょう、御飯、どんなでした? そう? それなら、御飯にすこし食塩をかけてあがって見たらどう? おむすびはさっぱりしてうまいでしょう。工合がよくないと、お米の匂いやあまさが舌にもっさりして入りにくい。ほんのすこし食塩パラパラとやって御覧になるといいわ。すこしは変っていいかもしれないから。
こんな話はひとから見れば景気もよくない話ですが、それでも、ゆっくりした調子で、互を互のうちへ吸いこむように眺めながら話していれば、やっぱり、それはたのしいわ。そして、やすまります。(食塩のこと、本当ですからもしまだでしたらためして御覧下さい。或はもうエキスパートでいらっしゃるから、ちゃんと経験ずみかもしれませんが。)
それから私は封筒の話をします。この頃まるで紙がわるくなって、それにいつも只四角くて大きいの、飽きるでしょう、だからすこしは涼しいような色や形と思って気をつけて見てもろくなのがないから、到頭あの水色のような日本封筒にして見たのですが、どうかしら。色は軽くていや味でもないでしょう? ペンで表かいたり中から細かくペン字のつまったのが出るのは似合わないようですが、私が筆で巻紙で、大きい字さらさらと書くと、あれはお客用ですから、字の間から心持が洩ってしまいそうです。もしいやでおありにならなければ、すこしあんなのをつづけましょうか。
これは薄藤色ラベンダアですね。これもやさしい色合いでしょう。
それにしても、私は自分の背の小さいのが不便です。人ごみの中に入って、前のひとの背中へ鼻の頭がぶつかってばかりいるのなんか平気だけれども、そこの横のしきりが私の背たけだと胸のところまであって、帯のところがちっとも見えないのですもの。これは本当に落胆です。色どりの中心は帯と帯どめですから、たとえば私がおしゃれしたって、目も心もない板ばっかりがくっついているのですから。
ああ、そう云えば、この間『日日』の「ウソ倶楽部」に出ていた話。
或日、上野の動物園で鳥どもが大さわぎしている。行って見ると、沢山のとりどもが集って、真中に一人の男をとりかこんでごうごうとさわいでいる。よく見たら、その男は伊藤永之介でありました。(「雁」だの「鶯」、とりの名づくし故)これは近来の傑作で、おなかの皮を
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