読みそれを我ものとしようとして居ります。豊富な話材があるが、と云っていらっしゃることもわかるように思われます。あの連信にしろ、一行が余りに圧縮された形をとっていて、制作と同じ緊張のもとにかかれました。大体このごろ私は手紙をかくのが遅筆になりました。これは決してわるいことではありません。頭の動く敏感さでかかず、心の語る速度や密度にしたがうと、おのずから滴一滴という工合であり、疾風的テムポがよしんば生じたにしろ、それは決して上滑りをしたものではありません。私たちの生活の精髄は、歴史の切り口の尖端にのぞんでいるものであって、真の人類文化の大集成の要義の把握なしには、いかような文飾をもってもつかめる性質のものでないことは実に身をもって感じています。
きょうは節分です。立春。八百屋や何かで柊《ひいらぎ》の枝を束ねたついなの箒(?)を売っています、はじめてこんなものを見た、撒く豆というのも大きいのね、上落合に暮していた節分の夜、風呂の中で浅草寺の豆まきのラジオをきいて、そのこと手紙にかいたのを思い出しました。うちでは大笑いしました。寿江子が卯《う》の年で年女《としおんな》だからお前に豆をまかせて
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