リスティックに描いて行こうとする努力が現れている文学――このデュ・ガールのような。そして結局は後者が文学の成長の胚子を守るものですが、このデュ・ガールの人間の歴史性(箇人に現わされている歴史性)のつかみかたと、丁度今デュアメルが執筆しつつある「パスキール・クロニクル」というおそろしき大長篇(パスキル博士というのを中心にした年代記)の中での人間のつかみかたとどうちがうか、大変知りたいと思います、やはりこれも一九一四年という年代を問題としています。デュアメルは社会の其々の層のタイプとして人間をとり出さず、人間とはこういういきさつで動きつつこんな波をつくるという風に見ているのではないかしら。フランス文学にあらわれているこういう真面目な収穫は、今日の所謂《いわゆる》事変|活《かつ》の入った作家たちに深く暗示するところあるわけなのだが。
『タイムズ』の文芸附録の特輯、世界の文学を見ると、フランスでこういうものが着々と書かれてゆき、ドイツでは極めて旧《ふる》い(中世に迄溯った)小地方都市の歴史小説などが代表作となっているのは面白いことです。いい作品は歴史ものだけと云い得るらしい。歴史上の文献につい
前へ 次へ
全766ページ中48ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング