なんて、非理性的だ、と云って。
非理性的なんかというのは、ひる間考えていた言葉なのです。非常に自分が薬欠乏を感じて、渇いて、求めて求めて呻《うな》るような気持でした。苦しさのどんづまりで不図自分のこの激しい渇望は、与えたい渇望なのだろうか、与えられたい渇望なのだろうかと考えました。それは勿論二つが一つのものですけれども、それにしろ、やっぱり与えられたい激しさであって、この気持そのままあなたの前に提出したら、それはあなたをたのしくよろこばせるものだろうか苦しませるものだろうかと考えました。よろこびの要素が多量にあるにせよ、よろこびをそれなり表現出来ないことの苦しさは確かです。そう考えているうちに、つきつめた心持がうちひらいて、二つの心のゆき交いをゆったりと包んで見るような調子になりました。それにつづけて、女の心のやさしさと云われているものについて考え、本当の、私たちの望ましいやさしさとは、悲しみに打ちくだかれる以上の明察を持つものであること、あらゆる紛糾の間で常に事態の本質を見失わないことから来る落付いた評価がやさしさの土台であることなど、新しい味をもって感じました。やさしさなどと云う
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