れよむところがあり私もお下りをやはり興味もちますから。
『都』に、フランス文学と、アナーキスティックな思想の擡頭ということを書いている人がある。これはまとめて読んできっと又感想があろうと思いますが、いろいろ実にわかりますね。あすこの雑多性、それの時代的|歪《ゆがみ》など。作家イバニエスの故国においてにしろ、そういう要素が活躍したのですから。簡単に燃え、たやすく消える装飾の灯かざりというものはいつもある。その幻滅を、文学的[#「文学的」に傍点]に修飾しようとするエセ文学趣味がある。自分のしんが燃えつきるとそれで歴史のともしびも燃えきったように思うおろかしさ。うぬ惚れ。いろいろある。文学は人間の精神をとまし、同時によごしてもいる。そのありようの条件にしたがって。
片上さんの第一巻(全部で三巻)一寸頁をくって見て、いろいろ感じ深うございます。文章が何と肉体的でしょう。今、こういう風にしんから身をなげかけて書いている評論家、こういう人間情熱が揺れているようなものをかく人はいません。皆とりすまし、自分を六分か七分出し、あたりの兼合を気にしている。昔『生の要求と文学』とかいう本があって、私の最初
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