事の自身へのモットウです。沈潜し規模のあるそういう生活感情こそ明日の文学の土台です。河上徹太郎が横光の芸術境について、「いかにして日本人であって近代人であるかということの探求」が横光の思想の中核であると云っているのを見て、なるほどと思いました。何とこういう人たちの考えかたは可笑しいでしょう。おひなさまのときの染わけかまぼこのようね、近代日本の日本人が、近代日本の日本人であり得ないということはない、それを一遍「それはないことないこと」にしてから、妙に分裂させてしかつめらしく云い出す、何を「ないことないこと」にしているかということについては自分さえも自分に向って沈黙していて。その勿体ぶりかたで謂わば女子供をたぶらかしている。
 そちらへ行くのに、ひどい風当りの中を歩かず池袋の方から横通りぬけて行けますから大丈夫です。でも本年の冬はインフルエンザを今からケイカイされているから私は喉は気をつけます。あなたもどうぞ。うすい塩水でうがいなさいますか? 今していらっしゃる?
『新潮』の写真は茶の間の顔というところもあり、こんな顔で仕事はいたしませんからね。でも茶の間の顔がなかなかいいから御目にかけます。こういう顔の系列であなたのドテラの綿入れをやったり、ジャムがすきでいつしかペロリと「いただいてしまう」藤江対手にフーフーやっているのです。藤江というひとはそういう点ユーモラスです。寿江子ったらいかにもそんな顔しているって云うんだもの。明るい性質で、丸くって、お香物を上手につけてマアいい方です。お金ためるのが面白いらしい。1.30 ずつとって、十円ちかく会にとられて一ヵ月それでも三十円ぐらいは手に入る由。
 三十円のサラリーでそんならずっと家にいるかというと、それはいやらしいのね(話しはしませんが)いつでもいやならかえれるいくらでも他に働ける、それが自由な心持を与えているらしい風です。このひとも本をよむのがすきです。だから、私が笑って、本をよむのもくらしのうちだと思うのは私のところぐらいだろうから、すこしはましなものをおよみと本をより出してやります。派出の女のひとをたのむ気安さというものもあります。その人の生活の一部だけがこちらにかかっているようで。あっさりしたところがある関係だからでしょうね。わるい場合には薄情さとしてあらわれるのですが、互に。ひさのようにしていると、うちにいる間の
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