す力としての思意的な生活感情は、武田氏によれば知的だとか理性的だとかいうことになる。そんなものでない感情のリズムとして情感としてのそういう思意性の日本の文学にかけているところは自然主義からのことで、そこには歴史のなかでの一般生活のありようが反映しているわけです。
 今日では日本らしさそのものの内容が変って来ているという点を結論としてかいたのです。だって何と妙でしょう日本のこと日本の人間、日本語でかかれた小説がホンヤク小説なら佳作だというような仮定! ああいう人たちの感情は何かプロフェショナルにかたまっていて頭をなでてやる高さの作品にはいいが、肩が並び或はすこし高いとどうもうけつけないのね。作品の出来、不出来以外に或るそういう微妙なものがあります。女、というところがぬけないのね。
 マア、こんなことはいい。私は私として書くだけですから。
 そちらの黄菊はいかがですか、まだよく咲いて居りますか。そしてすこし匂うこと? 三四日前下の四畳半の本をすこし片づけていたらスケッチ帖が出て、寿江子が茶の間の庭をかきかけたのが出ました。むずかしくてよくかけないと放ってあって未完成ですがそれでもやはり面白いからお送りいたします。狭い庭の感じはわかりますから。
 十五日すぎにあか子を私がだっこして現れますからどうぞそのおつもりで。大変よく似合いますからよく御覧下さい。十二月に入ると寒いし、春まで待つとすこし大きくなりすぎて、只今の天下御免式面白さが減るからどうしても一度は今のところを見てもらいたいのですって。あなたはきっと慨嘆なさいましょう、よくも似たり、と。
 いねちゃんはまだ湯本。この間の土曜日に健造はリュックを背負い妹をつれて二人きりで母訪問に出かけました。十に八つよ。どんなにうれしかったでしょう、双方とも。エハガキくれました。こちらからもお礼に「満州国の露天商人」のエハガキ送りました。うちの藤江女史、きょうはS子さんの家へ一寸行って洗濯やお葉漬けして来たところ、風邪ひきで白髪のお婆さんが半分腰をかがめながらチョロチョロしてお気の毒ですから。よそのうちで働いて気が変ったような顔つきしているから習慣というものは可笑しいことね。
 岡さんの奥さんに会って女中さんもしかしたらよこせそうという話ききました。耳よりです。紀の国やで働いていた人が帝大の美学とかの人と結婚してそこの家は大したお寺
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