qの兄が慎一を今流に動かそうとする。慎一もそういう風に今を生きたくはない。夫婦とも捨てみで生きる方を選んでいる感情で、終るという次第です。今日生活にあらわれる、若さ誠実さの一つの形としてのそういうもの、それは東京だけで何十万というサラリーマンの胸底にあるものでしょう。それは文学の中で、まともにあつかわれなければいけないものでしょう。軽井沢の秋の高原のそぞろあるきのうちに衰弱するのは、康成その他でたくさんですから。
『新潮』のは何をかくかまだ分りません。とにかく私は独言的小説はいやです。それがどんなに珍しい一つの才能であるにしろ、それはそれで自分は、人間が熱く埃っぽく、たゆみなく絡り合って生きているそういう姿を描き出したい。彫刻的にかきたい。立体的にね。その方向へ本気で船を漕ごうと思う次第です。自分はそういう風な内のしくみに出来ている。それを痛感します。短篇でもひろい音の響きのあるものがかきたい。タイプではなくてね。チェホフは傑出した作家ですが、人生というものをあの時代らしく類型化して描き、そのことではメリメやモウパッサンのように、テーマ短篇とはちがった世界を描きました。文学に短篇の新しい世界を拓《ひら》いた。けれども、これから先の短篇はそういうものからも又おのずから歩み出しているわけですから。生活の物音の複雑さがね。複雑怪奇という新造語の流行される今日ですから。
長篇小説とワイワイ云っていたかと思うと、曰ク「短篇時代来る!」これは冗談でない原因で、紙のこともあるわけです。しかし日本の作家は何というのでしょうね。長篇小説が云わば一つもろくなの出ないうちに、もうそういうわけです。つまりロマンなど生むに耐えない文化性におかれているのです。その点では、こちこち勉強しかないわけです。しかしコチコチ勉強だけでは実際上困る(Oh! 又早ね、早おき※[#疑問符感嘆符、1−8−77])。勿論冗談ですが。作家が益※[#二の字点、1−2−22]世俗的生活面の単純化(質的のね)の正当性を知らなければ、本当には成長的に生きてゆけなくなって来ています。衣類七割八分、食費四割以上、その他あがっているのだから。面白いことね。文学のジェネレーションのことを考えると実に面白いことね。来月からお米全国七分|搗《づき》です。太郎の御飯なみです。太郎は体の条件でそれと普通のとまぜていたが。まぜず。
御注
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