vです。「渦潮」で大正年代は終ります。このあたりから、なかなか面白くしかし書きかたがむずかしくなります。それから昭和を七年ずつに分けて二回。百枚越すでしょうね。すべてで二百二、三十枚。「人の姿」、「藪の鶯」、二つはどっちかというと随筆風に書いているけれども「短い翼」からは視野もひろいところから見ています。「渦潮」が十一月、あと二回として来年一月で昭和十四年までが終るわけです。昭和の後半は何しろ森田たま、豊田正子、その他まことに時代的な人々が多いから簡単でないし、そこをこそ念入りに書きたくて歴史をさかのぼったわけですから。本月はこの「渦潮」をこの三四日うちに書いて、それから『中央公論』の小説をかきます。九月号というのをのばして貰っていたのです。九月号のために八月初旬送らねばならず、七月中にかいていなくては駄目で、それは出来なかったから。
九月一日のパイパアの「海外新刊書案内」のなかに22[#「22」は縦中横]頁 Utley. F. という人(女の人です。経済、『日本の粘土の足』という著書あり)の『戦う支那』という本が出て居ります。『タイムス』の紹介で、その科学的な公平な態度を称讚して居ります。もし入荷予定があれば、ほしいと思って(いつか「思う迄のテンポは一致しているが」と仰云ったわね)、而してハガキ出しておきました。もし入荷予定があったら一冊是非欲しいからと云って。
六芸社から出ている『文芸評論』が参考書としてとり出されています。この装幀をした画家は小堀稜威雄という人ですが、今ふっと思うのだけれど、この人が杏奴さんの御良人ではないのでしょうか(ちがうかしら。いつか小堀鞆音の子息だということ、福田君からきかされた気がしもする。そうです、そうです。鞆音の息子さんです)。この本やさん、この頃は妙な本を出版しています、小説ですが。「ジンギスカンは義経ナリ」という木村鷹太郎製の伝説が流行して、去年川端龍子がラクダに甲冑をつけてのっている義経を描きましたが、何だかそういうような傾向の小説なんか出しています。この『文芸評論』の「過渡時代の道標」は今私のかいている部分のために必読のものです。
芥川龍之介についての座談会で久米の云っているところなどでは、彼は、人のよむものは何でもよんでおけというような負けん気で古典[#「古典」に傍点]もよんだりしたらしい風ですね。
平林初之輔が
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