ヨやるようにして、私は今夜通夜という次第です。目白の方は明日一杯家主にたのんでしめっぱなしです。致し方がないから。多分明日葬式でしょうと思われますから。
私の手紙、ではやっぱり九月三日に書いたの、まだ御覧にならなかったのですね。二十六日の次は一日です。84[#「84」は縦中横]? というのは、自分であやふやだったのです。その次には三日にかいているのですけれど。そして又例のお約束としていろんな表、別に一枚書いてつけ加えてあるのですけれど。御覧にならなかったのね。もう届いているでしょうか、それとも届かないのかしら。緑郎がどうしているだろうか、どっかへ逃げたろうか、そんなことも書いた手紙でした。私の手紙いつまでついているでしょうとおききしていたでしょう? どうだろうと気にかかったからでした。そう、もとの木阿彌になってのーのーとしていられるとお思いになるのかしらと思って、何だか切ないような笑えるような気持でした。よくよく信用が不確なのですね。私にはいろいろの事務的な几帳面さのこと、又規律ある生活のこと、勉強のこと、決して今日にあって小乗的と云えないこと、わかって来ていると思うのです。そういう気のしまりなしに、ろくなものが書けないということも。そういうことうっちゃりにせず、書くこともしてゆこうと思い、又しなければならないから、ぐうたらな気ではいないわけです。でも、三日の手紙がつかず、ユリが開成山へ一寸行って来ようかしらなどということだけ耳にのこっていて、又あなたとしては決して意に満ちた状態でない他の面でのほかの非事務的な様々と、何となし思い合わせられるとき、ああいう注意改めて書いて下さる心持、本当にわかります。ね、よくて、このことよくよくおきき下さい。もしユリが、同じ平面で只右や左へあるだけのもちもので書き暮して行くような気だったら、決してこの二ヵ月間のような暮しかたは出来ないような一般の空気なのです。そういうつきつめたところでは、私たちは、全く私たちだけの生活の評価と確信とその意味との上に立っていることを、一層つよく感じているわけです。自分の仕事というものについても、そういう根本的なところと切りはなしては居ないと思います。
勉学の方三冊目にかかっています。課程が未了のうちそちらへの面会云々のこと。私には、三日の手紙を見ていらっしゃらないことからの結論と思えるのですが、ど
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