髏lを見るのは大変珍しいのです、うちにそういうのはいないから。前の廊下で揺椅子をひっくりかえして、「あっこおばチャーン、見て御覧」とやっています。そこで私が曰ク、「ね、アボチン、御勉強しているのに、そっちばかり見ると御勉強が見えなくて出来ないだろう、だから駄目だよ」。この頃幼稚園で『キンダーブック』というのを貰って、蟻の生活の話など覚えはじめました。葛湯こしらえて、「白いコナがジャガいもからとれる」というと「フーム」とおもしろがっている。太郎は早く兄さんにならないといつまでも一人立ちしないで、悧巧のくせにひよわで、依頼心がつよいから。
本月は読書は、先月よりひどいことになって居ります。けれどもそれを補うというよりそれに十分代る他のものがあったわけですから、御諒承下さることと存じます(いやに丁寧になったこと!)。尤も、そのことのうちにある様々の問題についての正当なわかりかたということと、そういう実力ということと結びつけて云えば、猶読書大切とも云えますが。けれども、ごく片々とした書きかたで云って居りますが、私のそのうけかた、わかって下すっているでしょう? ただ、ことを知る、だけにはきいて居りません、その点を。最も深くふれて、自省にも役立ちます。
小説が描き得ている人生の面ということが又別な光で考えにのぼります、この頃屡※[#二の字点、1−2−22]。そして、窮極において、何と小さい部分しか描けていないのだろうと思わざるを得ない。ただ一つの作がその内に一つの世界をまとめているので、そこだけのぞいていると終始があるようだけれども。真の大小説ということについて考えます。大小説というと、従来の通念では只題材が大きいとか構成が多くてしっかりしているとかで云われるが、私はこの頃別様に考えます。大小説というものは、そこにこめられている人間的善意の諸様相がどんなにリアリスティックに描かれているかと[#「と」に「ママ」の注記]いうと、その矛盾、相剋すべてが。そういう意味では「戦争と平和」などとは又ちがった大小説があってしかるべきです、しかし世界にまだそういうものは出ていない、最も書かれてしかるべきところにおいてさえも。そうして見ると、それはよくよくむずかしいのですね。
急に話がとびますが、あなたは私の宛名を、方《かた》としておかきになるときどんな心持? 私は何だかいやです。可笑しい
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