ナした。云って見れば、はじめて筋の通った話に近いものをきくわけですから。いろいろの誤解のあることについても、その当人のいないここではふれないと云うのはうなずけます。
さぞくたびれるでしょうね。
大体夏はすきで仕事も出来るたちだけれども、今年は、秋が待たれます。でも、もうカナカナが鳴き出しましたね。冷水マサツはじめて居ります、これは笑われそうですが、やむを得ずよ、汗でズクズクになっておきますから。ここの家は目白とちがって、どの窓も開けっぱなしは出来ません。だからわずかに雨戸の無双窓をすこしあけておきます。やっぱり早ね早おきはやって居ますから、どうぞ御安心下さい。早ねしないでいられない。五時から六時の間にかえって来て、体洗って夕飯たべると、太郎もろともフラついて来ます。そこで一ねいりしたら十二時頃おきて困るから辛棒して九時半ごろまでぼんやりしていて、眠ってしまいます。一日おきの仕事にしてあるだけのねうちがあります、十分に。次の一日は、一日家居が出来ないと何にも出来ない。ところが、丸一日かかるから、どうしても次の日の用が生じて。しかし、得るところ、学ぶところ決して少くありませんから、只いそがしい雑事などとは全くちがいます、其は当然であるが。
明日で出勤一段落。それから仕事。今年の夏は、体は苦しいけれども、自分の作家としての生活実質についていろいろ実に深い感想を得た年です。傍ら、婦人作家の研究をやっているのは、これも相並んで有益です。歴史の波の間に社会の生活、女の生活、文学の生活はどう推移し浮沈しているか、そういうことを今日に即して沁々と考え、自分の作家としての一生の内容についても、おのずから改った感想があります。
作家ののこすべき芸術上の真の足跡というものについても、考えます。この間の晩、婦人作家の或る何人かの集った会へ出てね、実に感じ入って来ました、何と彼女たちは変ったでしょう。時雨、市子、禎子、そんな連中は遊ばせ言葉になって社交声で、何か皆に負うたように(これは時雨ひどい)やっている。もとより、作家でも評論家でもなかったのだけれども変りかたがね、平民のなかで暮していず、或種の選良の環境はああいう作用をするのですね。
おや、コトンコトン足音が二階へのぼって来た、太郎です。咲枝は昨夜から病院、まだ生むか生まぬか不明ですが。太郎はこうやって机の前で「御勉強」してい
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