ニいう題のような感じを紙面に与える。スダレがいりますね、これでは駄目だから。大分こちらは涼しく、光線が直接でないから落付きもします。たまには坐って見るのもわるくない。長時間は駄目ですけれども。
『セルパン』が来て、その中に女性の叡智、感覚、女性の知識と愛情などというものをいろんな人が書いています。知識と愛情というのは外国の女の人がかいているのですが、男は自我がつよいものであって、どんな愛情もその自我には抵触させない。自分の自我がおさえられそうな女は愛さない。女は、結局、知識をも、それによって魅力をより豊かにするように心がけよ、というような意味を云っていて、それは勿論どんな女にだって分ることだと思います、それだけ切りはなして云えばね、でも、現実はそう単純ではないから、そして今日の世界は決してそんな清浄界ではないから、男の自我そのものに女の人間としての歴史的な疑問も当然向くのであって、すべて女のもちものを、今日あるままの男の水準で魅力と思われる範囲に止めておく方が所謂仕合わせであるというところに大なる女の不幸があるのではないでしょうか。そして、大局には、やはり男の不幸が。パール・バックのこの誇らかな心では男にとって魅力以上であり、しかも女らしさに溢れる女の苦しみを語っているということをよんで面白く且つ非常にふかく印象づけられているので、なおそう思います。稲ちゃんの生活についてだって十分それが云えるのですから。だから女が従来のカテゴリイでの女らしさを殊更らしく云々したり、情痴的な要素にしか女の愛らしさを見なかったり、そして女も男も低いところで絡んでしまうのだと思います。ねえ、自分が可愛い女であることをのぞまない女が一人だってあるでしょうか。女のリディキュラスな面はそこから出ているとさえ云える位です。今日までの歴史のなかで、女が愛されることをもとめずに、愛して行くよろこびに生きようと覚悟のきまる迄にはどの位の悪戦苦闘がいることでしょうね。何故なら、女のなかにこれまでの歴史の跡はきつくつけられているのですから、やはり愛されたいという受身の望みが激しくあります。それにもかかわらず一方では、女の生活そのものが、その或ものをよりひろい世界に押し出していて、所謂手ごろな女の域はこえてしまっている。そういう場合、そういう歴史的な裂け目に立つ女は、いずれ、なみの女よりも情熱的であり或は意
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