フ通俗作家としての成功とぴったり一致しているものですね。一番低くてひろい底辺の一部をなしている意味で。それが、逆立ちして、形の上であらわれているのだから、文化の歴史も一通りのものではないと思われます。
きょう「ミケルアンジェロ」の話がてっちゃんと出て、あの著者はこれより前の著述でも、あの文章にあらわれている感動性が溢れていて、対象によっては形容詞が多すぎて、妙だそうですね。そうお思いにな|ります《りました》か? 芸術家を扱い、対象とぴったりしているために邪魔ではないが、やはり或過剰があります、たしかに。それはすぐ感じますが、それにしろ、そういう過剰など持とうにも持てない人ばかり多いときには、やはり過剰であることにあらわれている著者の未熟さを云うより、そのもとにあるものをとりあげなければなりますまい。その点も同じ意見ではありましたが。よく引しまっていて、そのひきしまりにこもる力から鳴りひびくものを感じる程度に到達することは、小説をかくものにとって一流の一流であり、まして歴史家の場合は。へんな構えや様式化にならず、一見実に無駄なくパラリとした文章で、よんで見ると大きさ、しっかりさ、空間の流れるもの、人生へおろされている根のふかさが、じーっと腹に迫って来るような文章がかけるようになったら人間も相当なものであると云わねばなりません。露伴みたいに、空や水、水や空というような塩梅ではなくね。これまでのすこしどうかした文人[#「文人」に傍点]は、皆ああいう工合に霞んでしまったから仕様がない。露伴にしろ明治二十八九年、まだ初めて作品を出した時分、一葉のところへ訪問して、「あなたの若いのがうるさい、早く年をおとりなさい、だが年をとったら又わびしいかもしれない」などということを云い、ロマンティック派の星としてあらわれた時代があったのです。この時代のロマン主義者たちは(文学界の人々)自然主義時代を成長の形として生きとおした人、ごくまれです、藤村がやっと凌いだが、彼のリアリズムはやはり主観の範囲にとどまっています。
寿江子が散歩からかえって来ました。奇想天外ななりで。雨が降っていて、今着られる服はちぢむというので、外套の下とは云いながら私の大前かけにブラウスといういでたちで。眠るために歩かなければならないというのだから、まだまだ可哀そうなものですね。
私は、お湯をどっさりわかして、ホ
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