サこで死んでいるのですから閉口。自分でとてもとれない。誰かにとらせなければならないが、ひさに、してとは云えません、何しろ、家では私が一番勇気がなくてはならないわけなのですもの。一番いやなこと、こわいこと、苦しいこと、それは私が先頭に立たねばなりません。奥さんですからね。とれないのにひさを気味わるがらせるに及ばず黙っています。こっちは、「藪の鶯」でかんかんなのだから。書き終ったら誰かよんで来よう。そう思っていたら、ゆうべ偶然小説をもって佐々木一夫さん来。おったて腰で話していたうち、ああ一つたのもうと思いつき、急に寿江子と二人が勢立ったので、佐々木さんはふしぎそう、鼠の一件を話したら、「それは何でもない」と、きっといやだったのでしょうが、立って出してくれました。いいあんばいに燐をのんでたおれたのだったから、清潔だったけれども。ぐったりする位安心したと寿江子と大笑いしました。
 きょうは、午前中から時雨さんの会に一寸出て、かえり、今、二十枚かき終ったところ。
 あつい日ですね、背中がじっとりして居ります。熱中してかき、面白かった。
 こういう風な、比較的、総合的で立体的な勉強をすると、なかなか自分のためになるところがあります。文学の世代において、婦人の刻みつけた線を一寸でも自分の力として先へおし出すこと、それがどのような意味をもつかということを真面目に考えます。ただ流行非流行の問題でなく、その生活と文学との本質において。自分の生涯で、せめて一分なりそれをとげたいと思う、ね、グイグイ、グイグイと押してゆくよろこびは、よしや知ることが出来なくても(客観、主観の関係によって)。
 フィレンツェのミケルアンジェロの仕事ぶりのところ、いろいろ忘られぬ感銘です。メジィチの墓の彫刻で、与えられた条件を溢れ出たというところ。あすこは二重に心に刻まれます。このなかには、いろいろとひっぱり出される暗示があります、芸術上のこととして。ミケルアンジェロが、現実が彼にとって辛ければ辛いだけ仕事に熱中したところ、熱中出来たところ、それだけのものをもっていたところ。これも通りすぎることの出来ないところです、私などには。最も健全な、最も歴史性の充実した人間、芸術家になり切るというところ。あなたのおっしゃる「日々の精励」ということの意味、それが唯一つの道であることの謂。
 今はまだダイナモが激しくまわった
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