隆治さん九日出発とは存じませんでした。本当にどうだったでしょう、午後四時にはついていたでしょうが。あとで退院したおしらせを島田へ書きますから伺います。
 二十五六日ごろの様子を心配していて下すったこと、それをちゃんと知らせなかったこと、御免なさい。あれはね、わたしがどの意味でも慾張ったのではなくて、へばっていて、寿江子に行ってくれとたのんだり容態を書きとらせたりするところまで気が働らかなかったのです。二十四日には、とにかくどんなに心づかいしていて下さるかと思ってあの手紙を書きましたが、二十五日は疲れが出てぐったりしていて一日うつらうつらしていた。夜傷口が痛むようで、二十六日は食事のときだけ起き上るようにと云われて起きるが、ぐったりしてやっとだった。脈の数も多く。二十六日ごろ傷が或は化膿するかもしれないと云う状態になって、二十七日は大変不安でした。ところが二十八日に、ガーゼにひどい浸潤があったので、きっと化膿したと思って糸を切って、さぐり調べたら化膿ではなく、肉も上って来ていて浸潤は漿液と判明。大いに皆御機嫌がよくなって、寿江子はその安心ニュースをもって出かけた次第でした。
 二十九日にはすっかり下熱して、初めて六度。三十日には初めて椅子にかけて食事をし、そちらへの手紙も書いたという風でした。
 こちらでは、私がのびてしまうと万事ばね[#「ばね」に傍点]がのびて利《き》かなくなって不便です。そちらへも寿江子としたら珍しくよく足を運んでいてくれますが、こちらがへばってボーとなっていると、それに準じて運転が鈍ったり止ったりする。これはどんな場合にも一番困ることですが、寿江子にしろせいぜいのところでしょう。栄さんが丁度工合をわるくしていたことも不便の一つでした。今度の経験から、一つきまりをこしらえておきましょう。万一私が病気その他で動けなくなったら、きっとその容態や情態を知らせ、又そちらからの用をきく役目を一人それにかかって貰うようにきめましょう。規則的な目的なしに暮している人々を、急にキチンと動かすことはこっちの気力がつかれて、この間のようにへばっているとつい及ばなくなってしまう。心配させっぱなしでわるち思っていたのに、本当に御免なさい。それでも、寿江子の体が少しましになっていたのでどの位助かったかしれません。
 世話してくれた人たちへのあなたからのよろしくは十分つ
前へ 次へ
全383ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング