りの家でほんとにくつろいだ気分でしたが、やや寝苦しかった。きのうは午後一寸(二時間ほど)横になってあと茶の間にいた、座椅子にもたれて。国男さんがひる頃来て、お祝総代ということで喋って行きました。そのときほんのお祝のしるしと云って仰々しい紅白の紙包をさし出した。お金が入っているらしい様子で、上に御慶祥と書いてあります。ふーん、この頃はこんな字をつかうのかしらと思って、これはどういう意味なの? と訊いたら、その通りだからさというわけ。御軽少の音にあてたのです。大笑いしてしまった。正直に訊いてよかったと。だって、私は真正直にこんな字もつかうかと真似したら大笑いのところでした。
 きょうは、只今寿江子がそちらに出かけ。榊原さんとおひささんは、日本橋の方へ、おひささんのお年玉の呉服ものを買いに出かけました。なかなか、恩賞はあまねしでなければならないので、私は大変よ。おひささん、寿江子(これはお正月のとき羽織|半身分《はんみぶん》せしめられてしまった。あと半身《はんみ》は咲枝のプレゼント)榊原さん、林町を手伝ってくれた女中さん、本間さんのところのひさ子ちゃん、病院の先生二人。等。大したものではなくても其々に考慮中です。
 いよいよ九日づけのお手紙について。これは妙ね、どうして、小石川と吉祥寺とのスタンプが押してあるのでしょう。珍しいこと。十日の午後四―八が小石川で十一日の前〇―八時が吉祥寺。吉祥寺と云えばあの吉祥寺でしょう? あっちへ廻ったの? 本当に珍しいこと。
 先ず相当の冬らしさの中で、風邪もおひきにならないのは見上げたものです。私がそちらへ早く行きたがっていることと、それを行かせることをあやぶむ気持とは面白いわね、どうも危いという方に些か揶揄《やゆ》の気分も加っていると睨んでいるのですがいかがですかしら。そちらからのお許しがないうちは出られないとは悲しいこと。〔中略〕でも、マアざっとこんな工合よ、と、一日、一寸この様子を見て頂きに出かける位、不可能とは思われません。きょう十七日にお許しを強請したのですがどうかしら。許可になったかしら。二十三日にはこれは、綱でも私をとめるわけにはゆきません。私は外見はやっぱりいい血色で、家の中の立居振舞は大儀などでなく、外見から判断すれば切開した翌日などお医者がびっくりした位桜色だったのですもの。自分の体の気分が一番正しいわけです。〔中略
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