たえました。〔中略〕
 中途でお客があって(主役は当年二つになる女の子です泰子という。私が名づけ親なの。)又二階へ戻って来たが出かけた連中はまだ戻って来ない。
 子供の話になりますが、てっちゃんのところの娘、これはやす子ではなく康子とした由、生れるとき難産であったために鉗子《かんし》という鉄の道具で頭を挾んで生ましたところ、産科医の云うにはそのために片方の眼に白くかすみがかかっていて、瞳孔をも覆うているそうです。松本夫人[自注1]が目下風邪だが癒ったらすぐ行って見てよく研究するそうです。可哀そうね。てっちゃんもやっと昨日その話をした、その心持もわかります。眼は親もぐるりも辛いものです。
 いずれにせよまだあしたあさっては出かけられないわけですがどうぞ呉々もお大切に。〔中略〕そろそろ風のないひる頃ゆっくり外を歩きます。のりものになどは乗らず。家のぐるりの散歩に。風呂は毎晩入っています。一つの望みは夜もうすこし楽に眠ることです。まだ何だか寝苦しい。夢を見たり不安だったり、熱はもう先のようにとらないでいいでしょう? 赤沈などひどかったわけですね、絶えず腹内に炎症があったのですもの。くされものを無理して持っていてあんなに疲れたのだと思います。
 では風邪をおひきにならないように重ねてお願い申します。

[#ここから2字下げ]
[自注1]松本夫人――松本清子、眼科医。
[#ここで字下げ終わり]

 一月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 一月十五日  第六信
 きょうは珍しく風のない好い日ですね。きょううちのお正月です。元日にいなかったから。小豆粥をこしらえて、おめでとうと云って寿江子、バラさん(榊原のバラ)、ひさ、私とでたべました。そこへ十三日づけのお手紙着。ゆうべ床に入ってから九日頂いたから十一日はどこかで、十三日は私の方へ来たろうかしらと盛に慾ばっていたところでした。
 ユリは盲腸に注射したり、とあるのでひとりで笑ってしまった。全く盲腸ではなやまされつづけていたわけですが、おなかのなかのことだからよく判らないで、大抵の人が一度やって切らずに癒すとそのまま吸収してしまっているというので、そのつもりでいて注射したのは、恐らく実際は盲腸のせいで、疲労し易かったりいろいろしたのに対して補強薬のようなモクソールを注射していたわけです。盲腸に注射というと、まるであ
前へ 次へ
全383ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング