ネ対手との生活に納まるのがこれまでであった、或は下らない対手と下らない市井生活にうずもれるのが(青鞜の諸氏のように)。今日は脂《あぶら》切って居りますから決してそんな素朴ではない。面白いところですね。筆にたより切るひとは、又それなりに双眼鏡を肩からかけたりいろいろの身すぎにいそがわしい。荒い浮世の波のうちかたを思わせます。
歴史的に見ると、若い花圃が洋服着て「男女交際」をして、兄の法事のお金が入用だと小説かいて、大変もてはやされたということも、どんな小説だったかと内容とてらし合わせて見れば随分面白い。これは但し図書館仕事ですが。
「風と共に去りぬ」いかがでしたか。お読みになりましたか。「ミケルアンジェロ」ついでのときお送り下さい。
片山敏彦(ロマン・ロランの研究者)が『都』に書いていた感想の最後は、今日求められているのは精神の建設であるとして、アランの「負いがたきを負うのが精神である」という文句をひき、ヨーロッパでリルケや何かが再びよまれているのもその点にあると云って居り、現象主義以上のものを熱望している感情は、今日の数多い心の要求を反映して居ます。しかし、リルケがゴールであるところ、そこね。何故人間の叡智とでも云うようなものは、いろんな袋小路やあいまいなかげやに、身をよせたがるのでしょうね。複雑極まっての単純な光の、透明な美しさは、透明すぎるのでしょうか。生理的にまだそういう未開さが細胞にあるかと思うようです、折々は。限度が小さくて、低くすぎる。自分をつきはなして見れば勿論その埒外にいると云えたものではありませんけれども。願望としても、ね。
こういういろんなことを考えると、勉強したくなりますね。
きょうは、夜新交響楽団の音楽をききに寿江子と出かけます。
寿江子も今気候の故ですこし工合わるがって居ります。近日中に又熱川にかえるつもりで居ます。栄さんのところでミシンかりてこれから着るものを縫って、そしてかえる由です。寿江子もお母さんとは気の合うところあり。お母さんは、おかえりになって一日二日と日が経つ毎になつかしさがまします。本当にいいところがおありになる。縁側のところで達ちゃんの嫁さんの話が出たらそれにつれて、お母さんは私の膝にお手をおいてね、「あなたは家事向のことを一切心配せんと、仕事をずっとやりとげなさいませ、それで結構」とおっしゃった。御自分もそれを
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