、いう部署にしろ。そうでないところなかなかの紆余曲折があります、特殊な。文学にだけはマアない。マアないと申すのは、やはりいろいろデリケイトであって、小説の場合と評論の場合とでは、どこか感情としてちがうところがありますから。そういう男らしさ[#「男らしさ」に傍点]は文学の領域にも残存して居りますから。
 九の日をすこし飛ばして貰うことについて徳さんにハガキ出したら返事が来て、お大事にということです。何か面白い翻訳をしているのですって。家は無事です、まずね、とあり。これもニュアンスのある表現です。うた子さん、劇務でつかれているのです。徳さんも就職のこといろいろ考えている様ですが、そう簡単にはありません。どこにでも口があるというのでは決してありませんから。誰でも欲しいのは一部分ですから。
『改造』へは、この間一寸一葉のことを書いたひきつづきの興味で明治開化期前後の女流作家の開化性(文学で金をとるようになった)と、文学作品そのものの内容の社会性とのいきさつについて、花圃や一葉やその他の人々のことを書いて見たいと思って居ります。楽しみなところがあります。明治文学史に一つもふれられていない点ですから。そして、このことは今日婦人作家のありようについてもいろいろ示唆するところがあり、些かはその点にもふれたい。それに、山田美妙とのいきさつによって自殺した田沢稲舟という婦人作家の社会からうけた儒教的な批判の性質、自然主義以前の馬琴的文学者の気分等も見てみたいと思います。一葉と桃水とのことにしろ、実に平凡です。一葉の若さ、教養の通俗性(それはひとりでに硯友社趣味に通じている)いろいろ考えさせます。その時代から野上彌生、俊子、千代と経て来た日本婦人作家の作品における世界のこと、生きかたのこと、やはり面白い。千代が、ああいう男性彷徨の後今日その文学性よりは元軍医総監とかいう父親の地位の方がより確実であるかに見える人を良人として納ったこと、やはり現代的です。今日は婦人作家が筆一本にかける自信をゆるがされている、経済的にもね。芸術的には勿論。文学にたずさわる名流夫人(今井邦子その他)の安固らしさにひかれる心持。一葉が若い生涯の晩年に到達した文学上の自信は、一歩あやまれば彼女の勝気さの故に到って卑俗な気位に近づく性質をもっていましたが、ああいう意気はお千代さんには決してない。男性彷徨の後、所謂風流
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