ナす。
あれから私たちは、日本橋の方へ出ました。毎日のことは、一々お母さんのお話で伝えられて居るわけですね。本当に活動的で、うちにじっとしていらっしゃるということはありません。そちらのかえりずーっと引つづいて夕刻の七時八時近くまで次から次へとお動きになります。御丈夫ね。私の方が、折々フーとなって、ああ盲腸がなくなっていてよかったという位。私はデパートは苦手中の苦手なの。でも、お母さんはそういうところでも、やはり興味をもっておつかれにならず、又お疲れにならないで、ここにも入って見ようとお思いになる気持も分ります。買いものぶりもなかなか面白い。いろいろ細々したお土産や御自分の着物なども揃い、もうあとは岩本の小母さんへのお土産を明日上野の松坂屋辺で見ればいいことになりました。
日光は、大成功でした。こちら八時四十五分に出てね、日光着が一時すぎ。それからブラブラ歩いて東照宮など見て、バスで中禅寺に行きました。馬返しというところまで大形バスで、馬返しから湖畔までは普通の乗用がれんらくをする。ひどい人出。九段へ来た遺家族の人も大勢胸にリボンのしるしを下げて来ていました。お母さんは「ハア、とまらんといにましょうや」とおっしゃる。でもお社を見物で大分足が痛んだので湖畔へ出たら、お母さんもさすがに泊っていいお気持になり、又湖の眺めのいい宿がとれたので、早速一風呂二人一緒にあびて、一泊に決定。部屋は大したことがないが、眺望はようございました。只男体山を背負っている位置でしたから、対岸の米屋というのだったらきっともっと景色はよかったでしょう。二十九日に湯元の板屋に部屋をとるように電報して出かけたのでしたが、湯元は満員というわけで、万一雪のあるてっぺんまで一気にあがって、宿はない、かえりの車はない、下でもう宿は一杯というのではわるいので、急に湖辺に泊ってしまった。翌日湯元まで往復六里ドライヴしましたが、泊りはやはり湖畔でよかったと云っていらしたから私も満足です。
宿屋ではドイツの若い人が何人も泊り合わせ、歌をうたったりしているのもお母さんにはお珍しかった様です。姫鱒《ひめます》も中禅寺湖名物で、私は美味しかったが、お母さんは初めてでどうもぞっとなさらなかった由。河魚は身が軟《やわらか》い。それがおいやのようです。それでも、ここの名物と思えば、食べても見たと笑っていらっしゃる。可愛い子
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