その他の薬品を買い、六階の食堂でおひるを三人でたべました。隆ちゃんは西洋料理はきらい。白いお米の御飯よろこんでたべました、あちら麦ばかり故。どうもお花見だし日曜日だし、広島の狭苦しい通りは縁日のような人出で、ゆっくり歩けもしない。すこし静かなところと云ったら隆ちゃんが比治山公園というのへ案内してくれました。ここも折からお花見の大した人出でしたが、山がひろいので、騒々しくはない。そこの林の間の亭に腰かけて、お母さんは隆ちゃんに東京からの御餞別をおやりになり、私たちのもやり、隆ちゃんがこれ迄働いた給料の貯蓄分として、いつぞやお送りした額の倍だけ定期にして証書を見せておやりになりました。私共三人がそんなことをして、隆ちゃんがいろいろ軍隊生活の話をしてきかせてくれたりしているわきには、サラリーマンの親子づれが竹の皮を開いてお弁当をたべたりしているという光景です。暫くしてぶらぶら山の高みへ上ったら、そこは大変。ぎっちりのお花見。のんだくれて歌をうたっている。すぐ下りて、ずっと広島市街の見晴せるところへ来て、みよし野という茶屋のはり出しに休んでお菓子をたべ、そこでしばらく話し。私は三人でどこか落付いたところへ休みたいと思い、宿やか何かへ行こうかと思ったが土地の様子も分らずそうやって、話して、それからズックの物入れ、空気枕など買うために又福やへ戻りました。(広島ではメーターの基本が60[#「60」は縦中横]銭ね。東京の倍です。東京は30[#「30」は縦中横]からはじまる。)そこで買物が不足。空気枕なし。本通りという人ごみをごたごた歩いて、森永で又休んで、もうそのときは四時。五時すぎにかえって風呂にも入った方がよいというので、四時半頃西練兵のところで電車にのる私たち、かえる隆ちゃんと訣《わか》れました。
お母さんは面会で上気《のぼ》せ、ゆかれることで上気せ、人ごみでおのぼせになってあぶなくて。私は怪我があってはいけないと思い、時々こわい声して、それでも無事広島から五時二十五分のにのりました。
ゆっくり会えて、本当によかった。隆ちゃんはほんによう早うに来て貰ってすまんかったと云ってよろこんでいてくれて、うれしゅうございました。十六日に私がゆくというお手紙ね、そちらの。丁度十六日につきました由、よませて貰いました。よく分らないが北支の方面のようです。二十日に又会いにお母さんと御一緒
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