す等三十三篇、ヴォルガの船旅、ヤドローヴォ村の一日その他に書翰、年譜です。
 松山へ行ったら何とかいう川へ行こう、松山には少年時代の苦しい思い出しかないというようなの。その同じ年の秋に書いたやや長い返事二つ。その手紙のおくり主の手紙はもとよりわかりませんが返事から察して、その二十歳か二十一歳であったひとの思索力について考えました。そこには何か刻々に生成してゆく精神の敏感さが燃えている様が反映して居り、自分の二十歳ごろとくらべ、人生への翹望が情感的な爆発(翹望それなりで)をする女の燃えかた、燃えたい勢でたきつけの見わけのつきかねるようなのと、それが思索的な追求となって発現する典型とを、今日にまで及んでいるものとのつながりで、深い愛着をもって見較べました。歳月のへだたった今日に、微笑をもって回想されるというような点もあることがわかりました。
 夜になったがまだ待ち人は(手紙のことよ)来ず。あしたの朝になったらば郵便や、早くもって来い、駈けてもってこい。雨にぬらさずもって来い。

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きょうは計らず非常にやさしい絃のピシカート(指頭奏法)で桜坊色の小さな丸帽子の主題が演奏されるのをききました。今猶耳についている。
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 四月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 四月十二日  第三十一信
 きょうの暖かさ! もう桜がちりはじめました。このあたりにはよその庭に桜が割合にあって花見いたします。上落合の家ね、あすこの二階から見えるところに八重桜の大木があって、重々しく圧迫するような八重の花房を見たのを思い出します、あの時分の手紙にそんなこと書いたことがあったでしょう? 花の下蔭という光線のやさしい照りはえについては、徳山でのお花見で初めてその実感を得たことも。本当にあれは奇麗と感じられました、五年の間春はああいう花を見て大きくおなりになったわけね。
 さて、四月六日づけのお手紙、九日に頂き、返事きょう書くという珍しいことになりました。あの手紙に云われている歴史性のない抽象の人間性がない話、あれはいろいろ面白い(最も豊富な語義での)。全くよく人は本質的には何々だが、とか、それは原則的には云々だが、とそこに現実に出ているものについて十分突こまず、現象を仮象のように語る自他幻想癖をもって居りますね。一般の人々の内部にあるそうい
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