ユリは自分のライフワーク的な労働について益※[#二の字点、1−2−22]考えて来て居ります。そういう点からも、仰云るようにした方が一番いいのかしれませんね。私たちには私たち独特の生活があるわけであり、それを生活の形の上でもはっきりつかむだけ、十分内的にもつかむことが結局そういう仕事をさせるかさせないかにもかかって来る。主要な目標のためには生活をダイナミックに支配出来る必要があり、又自然そうなっても来る。家のことは単純にうちのことではなくていろいろ自分たちの生活の実質について考えさせます。ああ考え、そしてこう考える自分の心持を、そういう心持として又考えます。例えば三日の手紙におばあさんを招く仕度をしていることをかき、私はこの私たちの家を愛します、とあなたに向って云うとき、私は涙をこぼしたの。わかるところもあるでしょう? しかしそこには何か凡庸なものもあります。それもわかるでしょう? そういう工合。
生活の必要につれてどんどん家を掌握する気分よりも、一般が家を固定の方向に、巣ごもり風に、感受して行く空気なので、沈潜と定着との間、微妙なものがあります。大局から見ると更に面白いものですね。地盤がずりかかっているとき、地震のとき、人は自分のつかまっている木の幹に、ここを先途としがみついて行くように。今度の家のことは、思うにこれまで私たちが持った家から家、例えば動坂から信濃町へのうつりかたとは、ずっと内容的に深化して居り、それにふれて動く感情も複雑です。しかし、こんなにしてこねくって一つの家というものを八方からからんでゆく心持は後まで思い出すようなものでしょう。
家さがしの様々な心持。様々の情景。なかなか人生的です。これだから、家さがしや転宅したことのない人々の心持なんて、襞《ひだ》の足りないようなところが出来るわけね。
この頃の心持、腰をおとして、ついてゆくに価すると思います。何だかあっちこっちから、これまで見馴れない芽がふいているようで。何かが新しく見える、変にくっきりと。むけた心、そのむけたあとに生えて来かかる肉芽。人間の成長の現実のありようは何と其々その人々、その夫婦たちの足の下にふみつけられてゆくその道以外にはないでしょう。
この間の本には、文学運動の過程について。第三階級勃興当時の文学様式、その他文学方法論の問題、明治以後の文学思潮、文壇の風俗主義的傾向を排
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