くしてゆくということは大したことですね。その困難さが十分に分るだけでも困難というようなものです。文学においては、特にある境地でものを云う風が多く、(過去の文学の性質上、作家の生活上)あるところへ(迄)ゆくと、とかくそういうものがつく。苔。文学が衰弱しているから、青年の文学における歩み出し第一歩がもう境地の手さぐり、擬態、誇張ではじまっている。
非文学的文学の横行の自然な半面として、純文学がこの頃はずっと浸出[#「出」に「ママ」の注記]して来ています。しかしその純文学が新鮮な血球を増殖させ得ているかと云えば、何しろヴィタミン不足故、境地的なものから脱せず、そのことで純文学を求める心の負の面と結んでしまうことになります。そうなっている。しかしそれにあき足りない本能はうごめいているが、目やすがないから女子供の書くものの面白さに行ったり、今日婦人の作家が健全に成長し得ない、その低さ小ささ、その罪なさ(愚にも近づき得る)のなりに、所謂現象的擡頭をしている。ですから、栄さんのかくものが、栄さんの人となりのままで、その程度なりにまじりもの、こしらえものでないから本人予想以上の好評であるということになります。所謂新人のうちでは忽ち屈指です。健康さから云ったって。そこにやはり悲しみがあるわけです。
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〔欄外に〕こんな飾りをつけていて[#便箋右上に花飾り付きのページ数]、不図昔の人間がゴジック文字をこしらえた気持思いやりました。ああいう気持、こういう気持のおもしろさ。
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自分の主観的な一生懸命さでさえ、成長を阻むものとなり得るということは、一応も二応もわかって居て、岡目八目的にはわかっていたが、我身にひきそえて、この頃は自分たちの生活の本来的なよいものでさえも、それをよいように活かさなければ、わるいものにさえも転化して作用すると思って居ります。推進力というようなことをも複雑に考えます。所謂いいもの、いいこと、だけがよい方への推進力であるときまってはいない。あなたにとって、あなたの讚歌をくりかえすオームや、我々にとって我々のよろこびを死ぬほどの単調さでくりかえすちく音機もいらないわけですから。
円滑性ということについても考えます。いろいろな場合の。これもなかなか目が離せぬ代物と考えられます。同感でしょう? いいものから来ているものもある
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