も一部分は出て居りました。文学評論の古典は、アリストテレスとは思いませんでした。あれはもう古典をそう考えていた時代、岩波のホンヤクでよんで(!)しまいました。
いつだったか徳さんか誰か、あなたの物覚えのよいのをフーと云って話していたことがありますが、大掃除以前のきわめつけ[#「きわめつけ」に傍点]をとり出されたのは、全く汗顔です、意地わるい方ね。恐縮な顔は自分でも滑稽であるが又腹立たしいところもあります。まさか、今悦に入ったりしてはいやしないでしょう? 悦に入っているなどと思ってお書きにもなっていないでしょう。
素朴な合理主義をより成長させるための努力。いろいろ勉強して、文学においても発展成長させたいと思います。素朴な合理主義へは、誰しも一応ゆくのです。そこいらまでは自然発生的に辿りつくが、現実の諸事情の間で、いつしか弱い基力となり、文学においても様々の形体で、主観的な道義性ならまだわかるが、道義性さえ失ったあるがままの姿に安住する姿、陸続です。私にあっての危険は(文学上にも)土台そういうのはこまるため、それに反撥して、しかも基底はちょぼちょぼであるためやはり大きい目で見れば主観的なもので強ばって、ひとも発展させず、自分もめきめき成長するという工合ではなくなるところです。(いつか勝気のことにふれたと同じようですが)そういう点実に面白い、こわいものです。このいきさつを科学的につかまない、そのような機会にめぐり合えないまま、卑俗な意味の物わかりだけよくなってしまうような人の例がある。
ペニイのことから敷衍《ふえん》されてある点ね。これは作品が本ものか本ものである[#「ある」に「ママ」の注記]か、本ものになれる資質かなれない資質かという位機微にふれた点です。反射運動みたいな習性、才気ある女云々、そうとり出して読むと何かおどろかれるようですが、私はこの頃ペニイのこと抑※[#二の字点、1−2−22]《そもそも》からね、こう考えるのです。そういう感想をもたれた以上は、そんな気だとか気でなかったとか云うより先、自分のどこかにそういうものがあるのだ、と。同じような種類の、或は程度の間では似たりよったりのため気付かれずいるものが、見え、質の点で小さくても大きいことだ、と。むき出しの身をもって学び、成長してゆくということは、生涯その成長をとどめない努力をつづけて自省をより高くひろ
前へ
次へ
全383ページ中127ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング