年にかけてね。このことは考えるたびに一種のおどろきの感情を伴います。自分がむけてくるという感覚。これは何という感じでしょう。いくつかの山や谷を通ったことです。或期間は、全くあなたが、自分の足をただ受け身にだけ動している私を押して坂をおのぼりにもなったのだから、本当にすまなかったし、今は表現以上のありがたさです。そして忘られないのは、栄さんへの手紙で書いていらしたこと。点の辛さは女の成長に限界をおいていないからだという一句。あれが私を電撃したときの心持。窒息的な女房的なものの中に自分から入っていることを知ったびっくり工合。(自分に直接宛てて書かれているものから、それをよろこびとしてつかみ出さずにることのおどろき、ね)あすこいらが悪い状態のクライマックスをなします。私たちの生活の中に決して二度とくりかえすまいと思う圧感でした。今になってあの時分のこと考えると、クリシスというもの(ひろい生活的な意味で)の性質がわかります。ああいう風に風化作用的にも浸み込む、或は出る、のね。日参のおかげで、その期間があれだけで転換の機会が来たと思います。私の盲腸炎はそんなことからいっても何だか実に毒袋がふっきれた感じね。毒々しかったと思う。
 伝記については、云われているその点にこそ私の文学的人生的興味の焦点があるのです。日本の文学の歴史の推移との連帯で。それではじめて日本の作家が世界的な作家の評伝をかく意味が生じるわけですから、私たちの生活というものがぎゅっとよくまとまって、能率もましてくればうれしいと思います。もとのリリシズムの一層たかめられた実質での私たちの生活というもの。そのことを考えます。
 林町では国男、一ヵ月ほど北支辺へ旅行にゆく由です。仕事をあちらにひろげないではやり切れぬ由です。何しろ水道新設ができなくては建築をやるものはないわけですから。咲は、いろいろ微妙な妻としての立場から心配して居ります。行ったきりずるずるになられては。変なおみやげをもってきては、等。事務所がつぶれたって咲としては御亭主を確保したいのが当然ですから、国によくその点話しました。わかっているといっている。で、私は思わず自分の分っているのがどんなに分っていなかったかを考えて笑い出したし、安心もなりません。国の顔をみると、もちろん仕事についての関心もある。しかしそうでない興味もうごいた顔です。おかみさんは直
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