事をもっていたし、「虫の生活」のチャペックね、あの人なども死ぬ間際までチェッコのために実に立派な努力をしつづけ悲劇的に終っているようです。チャペックの細君は女優でアメリカへ行って暮すことを考えていたらしいが、チャペックはチェコにいられないがチェコ以外のところに住もうとは思えないという心持であったらしい。アメリカに対する楽天的期待を抱けなかったところはさすがに諷刺詩人としてのチャペックの現実性です。けれども、チェコにいられなければいられるところで一番よく生きて行こうという心持、歴史の将来を見る目をそらさない勇気を失ったらしいところも亦、「虫の生活」のチャペックらしいと思われます。芸術家の生活に吹きよせているものはどこでもなかなか快き東風とはちがったものです。
面白いことが目につきます。それは音楽について人々が何か一寸これまでとちがった態度を示していて、林〓氏が何か書いたり宍戸儀一氏が何とか云ったり。世界を流れる言葉としての音楽が、小道具として登場した形です。作曲家の道もえっちらおっちらですね。寿江子など一生にどの位までやれるか。寿江子はまだ主観的で、自分の音の骨ぐみしかなくて(小さい一綴りの)、迚も迚も、それで物語るというところまでは大遼遠です。それでも、すてたものではなく、音楽の勉強生活が、生活である以上いろいろの台所的な用事ぬきの生活なんかある筈ないし、そんなのは不健全だと思うと云っていた。これ位のことでも現代日本の水準の音楽家の心持とは全く異種なのです、一般はその位低い。柳兼子はアルトで、宗悦の妻君で、決して関屋敏子ではない部で、その気位たるやおそろしいが、云うことには、「もう三四年も経って御覧なさい、演奏会以外に歌おうなんて気、まるでなくなっちゃうから」と、いとも楽しげに云った由。これは云われた人の直話です。そういう気分。寿江子は熱川で音楽史と世界歴史をすこし勉強して来る由。寿江子にはそういう真面目なところと私がおしゃく的と云って本気でおこる無智とが交り合っている有様です。女俊寛で、炭やき爺さんと山歩きして、きっと又のみにくわれたあとだらけでかえって来るでしょう。秋までには丈夫にしてやりたいと思います。それでも、もしかしたら一二年は郊外で生活した方がいいのかもしれない。勉強に出る日は一週に何度(三度ぐらい)ときめて。そうしてすっかり安全なように直してしまうつ
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