宛 目白より(封書)〕
三月十二日 第二十二信
今、后すぎの二時半。ひどい風がややしずまって、何とあたりはしずかでしょう。おひる迄相当勉強して、パンをたべに下り、ひさは出かけているのでひとりで、今度は小説をよみながらたべ終り、今年はじめて縁側のところへ座布団を出してすこし又よんでいました。八つ手の葉や青木の葉が昨日の雨に洗われてきれいな色をして居り、土は春の雨のあとらしく柔かくふくらんで、静かで、あなたも、あしたはユリが来ると思いつつ、こんな空気を感じていらっしゃるのかと思ったら、たまらなくお喋りがしたくなって来ました。そう沢山喋らなくても堪能するのです。ちょっと顔をこちらへ向けて頂戴。そして、そう、それでいいの、もう。
「ロダンの言葉」、お読みになったでしょうか。彼の作品の「手」覚えていらっしゃるでしょうか。「手」の面白さを高村光太郎などもなかなか云う美術家ですが、手は全く興味ふかい。生活が何と手に映るでしょうね。手が又何と生活の感情を語るでしょう。些細な癖にしろ。いろいろな場合の手。字ではこんなに単純な四本の線である手やその指の活々とした感覚。心と肉体とに近く近くと云う表情で置かれる手。優しく大きく口の上におかれた手。平俗な詩人ではなかなかその趣を描きかねるばかりです。彫刻で、ロダン位人間の情熱の明暗、生命の音楽を描き出し得た人は実にないと思う。それを見ていると言葉なんか飛んでしまって、非常に深い激しい情感の中へひき入れられてしまうような作品がいくつかあります。「考える人」や「青銅時代」や「バルザック」「カレーの市民」などと異った芸術の味で。ああいう巨大な芸術の才能が自由自在に動きまわり足音をとどろかせ得た環境を考えます。けさよんでいた本の中に歴史的成長と民族の関係が描かれていて、それは芸術家にもあてはまり大層興味がありました。読んでいるうちに、農民文学についての本もわかり面白かった。ポーランドの作家の「農民」など、この頃チープ・エディションになって第一書房から出たりしています。アイルランドの農民の生活も世界的に特長をもっているらしいが、この間死んだイェーツなどそういう面からは注目していないようですね。アイルランドとして主張し提出している。イェーツなど大変(グレゴリー夫人とともに)夢幻的詩人のようにだけ思われているが、アイルランドのためには生涯絶えざる仕
前へ
次へ
全383ページ中90ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング