のです、ただの傷ではないと申すわけです。
体の疲れもいろいろにやって見て、大分直りました。七日ごろ退院と思って居りましたが、まだ疲れ易いし、そとを歩きたいという欲望全くないし、するから、十日までいて、浸潤もすっかり乾いてからかえることに今日きめました。折角かくの如き大成功だのに、文字通り針の穴から妙な失敗をしてはくやしゅうございますから。悠々構えろというあなたの標語をここでこそと守るわけです。家へかえっても何処へも行かないだろうと思います。というのは、国府津へ行ったって目白より入浴が不自由だったり食事が自分の負担になるし(としよりの女一人留守していて、そのひとは頭がよくて、私が一人行くと、自分が体が変になって[#「体が変になって」に傍点]休むの)さりとて温泉へ出かけるのも進まず。去年行った熱川は行きたいが、バスが一時間以上ですから無理だし、熱海、湯河原は気に合わずですから。かえって、又例の十時就眠を実行すれば結構だと思って居ります。それに病院を出るようになれば、私のための恢復薬は特別品があるのだから、東京なんか離れるよりその薬をよくよく眺めて、聴いた方がずっと利くこと確実です。今でさえ、そう思っている次第です、ああこの病院は万事到れりだが肝心の薬一つが欠けている、と。しかも、その薬こそ私を生かしも殺しもする力をもっているのに気付かないとは何とうかつでしょう!
島田では隆ちゃんの出立ちが迫っていて、さぞおとりこみでしょう、この間お母さんからスタンドや何かのお礼とお見舞の手紙頂きました。お母さんのスタンドは日本の手提行燈の形の、白絹を黒塗のわくに張ったもので、よくお似合いになるだろうと思います。お気に入ったそうです。この頃はあなたのところからもよく手紙を呉れると書いてありました。お母さん、私がおなか痛がったり、お餅をたべたいのに食べられないと残念がったりしていたのをよく御承知ですから、手術したことをびっくりなさりながら、やっぱり、後がさっぱりして却って安心と云って下さいました。後がさっぱりのうれしさは、今にもうすこしして平気に歩くようになったとき俄然真価を発揮すると思います。
私はリンゴぜめよ。誰彼が見舞に来て呉れ、何か土産をと考えると、汁の食べられる果物リンゴと思いつきが一致するらしいのです。青森のリンゴ、赤いの青いの、ゴールデン・デリシャス、レッド・デリシャス
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