究所の建物でしょう。こうして見ると随分ギッシリとして大きいことね。校舎、研究室皆あるから。そして、信濃町の通りのソバや洋食やすしや、皆この一ブロックのおかげで御繁昌というわけです。((三)までで終り)

 一月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 慶応大学病院より(封書)〕

 一月六日  第三信
 明るい午後。風がきついらしいけれども、実に実に青い空。東京の正月はじめの空の色も澄んでいますが、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の一月の白雪の色、日光の燦き、黒く濃く色とりどりの家の屋根から立ちのぼっている白樺薪の煙など、いつもよく思い出します。冬らしい冬の光景として。
 その後いかがでしょう、やっぱり風邪もひかず御元気ですか。四日に繁治さん行きましたか? かえりにもしやよって呉れるかと待っていたら来ず。きのう五日故栄さんでも来ると思ったが来ず。本日午後二時近くですが、まだ来ず。待ちながら文庫の下らない恋物語(ドイツのロマンチシスムの見本のようなもの)を三つもよんでしまった。どうしたのかしら。行かなかったのかしら。行かなくて、わるいと思ってひっこんでいるのかしら。どうしたのだろうと考えながら、これを書き出しました。きのうは、もし何かおことづてがあればと思って待っていたのだけれども。
 もし行かなければ、次々への手紙でだけ、私の順調な恢復の模様を知って頂いているわけね。三日前から、毎朝入浴して、手当(ガーゼの湿布をつけること)し直して、一時間ほど眠って、おひるたべて、すこし休んで本を読むという調子です。熱は六度から六・六です。大変きっちりとして来て、入浴から上ったすぐ後六・八位が頂上です。傷は二センチほどにちぢみました。木村博士笑って曰ク「こんな小さい傷口で虫様突起をとったなんてうそだという人があるといけないから、一遍出たのを見ておおきなさい」その位です。そして、傷の下にあいている小さい穴も大分肉が上って来て、浸潤もごくすこしガーゼについて来るだけになりました。今度は全く驚くべき好成績です。木村先生も大いに御満足で、今日は、その大きいおなかの小さいきれいな傷の記念写真をとりました。外科医にも制作的情熱は盛でしてね、先生は忙しいのにわざわざ室へ来て、小さい物尺《ものさし》を傷の横に当てて持っていて、写真をとらせました。「記念のために一枚あなたにもさし上げます」そういう傷な
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